新年度の4月、子どもがサッカーを始めたことをきっかけに、お父さんたちのサッカーチームに誘ってもらいました。早速サッカーシューズも買い、毎週土曜日の朝はサッカーをすることになるはずでした。しかし、日ごろの運動不足のせいか、2回目の練習でアキレス腱を断裂する怪我をしてしまい、その日から、松葉杖が欠かせない生活が始まりました。

家から駅までの1キロを移動するのもやっと。これが雨の日となったら、もう大変。松葉杖がすべってしまい、さらにスローな移動です。

松葉杖生活になって、改めて気づく暮らしのバリア。なぜ、ここに傾斜があるのか。なぜ、下りのエスカレーターがないのか。取って付けたようなエレベーターは、ホームの端までいかないと乗れない。しかも乗った先は出たい出口と違う。他にも細かなバリアはたくさんありました。

「こうやって、自分自身が当事者となってみないと気づかないことはたくさんあるんだ。」とつくづく思い、さらに、当事者の気づきを伝えることの難しさも感じました。些細なこともたくさんあり、その気づきすべてを声に出すためのパワーも必要でした。

私たちは仕事のなかで、「当事者性」という言葉をよく使います。

自分はどれだけ本当にその「当事者性」に近づくための思慮をしていたのか、そこに近づくことの難しさをどれだけ意識できていたのか、当事者の困りごとに気づき支えてくれる周りの人たちのあたたかさの意味を知っていたのか。