1979年夏に北海道国際交流センター(HIF)の前身である「南北海道国際交流センター」がスタートした年、ひとつの目指すべきスローガンが掲げられた。

南北海道に住む私たちと、日本で学ぶ留学生たちは、
家族として、地域社会の一員として、生涯教育の一環として、
共に働き、共に語り学びあう、
無形の学園を、各家庭、各地域で形成し、
地球市民として心のふれあいを通して、
世界の平和に役立てることを目的とします。

国際交流のつどい
国際交流のつどい

地域の農家を中心に2週間の留学生ホームステイを行い、最初16名だったものが、80年には44名、81年には148名と参加者が増え、その年には鹿児島、2年後の83年には佐賀とその活動は全国にも広がっていった。今年で、40回目の留学生ホームステイを行うが、今もなお、地域交流から、世界平和を目指して活動している。そんなHIFで今、事務局を担っている自分だが、今の仕事に至るまで、地域から平和を見つめてきた気がする。

大学を卒業して、旅行会社のJTBに勤めていた頃、担当していた団体に「傷痍(しょうい)軍人会」があった。戦傷を負った軍人の組織であり、函館支部の方々からは、戦争の体験や、苦しい生活、助け合う人々のことなど、よくお話を聞かせてもらったものだった。戦争の語り部である傷痍軍人会も、2013年には解散となった。

1991年には湾岸戦争が勃発し、テレビでは連日、悲惨な映像が流された。予約されていた海外旅行は軒並みキャンセル。いろいろなところに戦争の影響が出た。人は平和だからこそ旅に出かけ、楽しむのだと感じた時でもあった。

旅行業を経て、ニュージランドや共働学舎新得農場で農業を目指し、その中で、感じた農産物の世界流通。食料もまた、世界の情勢に左右されながら動いていることを感じたものだ。

そして、近年は北朝鮮とアメリカの対立が際立ち、ミサイル発射のたびに鳴り響いた警報は、人々の不安を搔き立てた。歴史的な米朝対話が行われたが、今もなお世界で紛争やテロが起き、多くの難民が生まれ、安心のない日々を過ごしている。

作詞・北山修、作曲・杉田二郎で1970年に発表された歌「戦争を知らない子どもたち」 。一世を風靡(ふうび)したこの曲を知らない世代も少なくない。戦争は、すぐ目の前ではなくとも、この世界の中で起き続けている。安穏として、それを「知らない」ままでいはしないか。いろいろな立場から、今一度、「平和」について考えてみることが必要ではないだろうか。