NGOのスタッフとして活動を始めて20年近くになるが、時折違和感あるいは居心地の悪さを感じることがある。まだスタッフになって間もないころ、研修のために来日していた、ネパールで児童労働問題に取り組むNGOの代表を成田空港まで送って行った時のこと。私が日本にもいじめや虐待など子どもに関する様々な問題があるという話をしたところ、彼は目を丸くして「2週間も日本にいたのに誰もそんな話をしてくれなかった」と驚いた。

国際NGOの役割について議論する国際会議の席上、インドから招いたNGOの代表が、インドでも活動を始めようとしていた私たちに対して「あなたたちはインドになんぞ来なくてよろしい。そんな暇とお金があるんなら、自分の国の問題に取り組みなさい」と言い放った。

アメリカのNGOネットワークInterActionの年次総会に参加した時のこと。最終日のレセプションであいさつに立ったアフリカのNGOの代表が「私たちはこの3日間、アフリカやアジアの途上国のことについて話し合いましたが、ここアメリカにもホームレスや教育格差など様々な問題があります。折角ここに集まっているのだからこうした問題についてこそ話し合うべきではないでしょうか」と述べ、拍手喝さいを浴びた。特に途上国の参加者から。

私自身、ネパールに数年間駐在している間に「途上国のNGOは自分の国の問題解決に取り組んでいる。なぜ日本には日本の問題に取り組むNGOがないのだろうか」という疑問を抱いた。もちろん日本には様々な社会課題の解決に取り組む民間の団体がたくさんあり、それをNPOと呼んでいるので、呼び方を分けているだけのことなのかもしれない。しかし、海外で活動するのがNGO、国内がNPO、という活動対象地域による呼称の違いだけではない「壁」があるような気がする。

NGO活動、というよりも海外協力活動における常識としての、プロジェクト・サイクル・マネジメントや参加型調査手法、プロジェクト評価といった手法や用語が海外の現場では当たり前に使われているのに、日本国内で活動する人々にとっては全く馴染みのないものとなっている。海外の人道支援の現場で使われるスフィア・スタンダードやCHS(Core Humanitarian Standard)といった基準も、日本の自然災害対応の現場で語られることはまずない。子どもの権利や貧困問題など、共通する課題に取り組んでいるはずなのに、NGOとNPOの間には見えない壁があるようだ。アルファベットやカタカナを多用してしまうこともひとつの要因だろうか。

シャプラニールは、その見えない壁の向こうを覗きこむ、あるいはこちらを覗いてもらう試みを重ねてきた。バングラデシュやネパールの児童労働をテーマに講演会を行う際、日本で子どもの貧困問題や青少年育成に取り組む人たちを招聘して対談したり、日本国内の防災の専門家をネパールの事業地へ連れて行ってアドバイスをもらったり。新宿のホームレス支援の現場と、バングラデシュのストリートチルドレンの支援活動の現場両方を訪ねて議論を重ねる、といったプログラムを行ったこともある。こうした「日本と海外の現場をつなぐ」役割が私たちにはあると意識している。

もちろん、こうした問題意識は私たちだけではなく多くのNGOが共有していて、特に東日本大震災以降、NGOが日本国内の課題にどのように取り組むべきか、といったテーマの会議が繰り返し開かれるようになり、既にいくつものNGOが日本国内で具体的な事業を開始している。

SDGsが、先進国自身が抱える問題にも焦点を当てたことにより、NGOの国内課題への視点がさらに深まりつつある。NGOのネットワーク組織JANICの中でも「もはや国内と海外を分けることに意味はない」といった議論も出てきている。しかしそれが、「うちの活動はSDGsの○番と●番にあてはまります」というPRだけで終わってしまっては意味がない。

かつての援助理論は、沼の底で苦しんでいるかわいそうな途上国の人々を、高い場所にいる私たち先進国の人間が浮き輪やロープを使って引っ張り上げる、という考え方だった。それが、自分たちが暮らす場所を少し掘り下げて手を伸ばす、という考え方に変わっていった。そして今、持続可能な地球社会を実現するためには、高いところにいる私たち先進国の人間が、沼の底におりていって途上国の人々と手を携えることを考えなければならない状況になっている。

SDGsを絵に描いた餅にしないためにも、「自分たちこそ変わらなければならない」ことを、理論だけではなく実行に移していく必要がある。そのためにNGOが日本国内で果たすべき役割がこれからさらに増えていくはずだし、私たちはそれを強く意識すべきだと考える。理想としてはNGO、NPOの区別がなくなり、海外と国内の現場でお互いに培ってきたノウハウを共有しながら、より効果的な活動が生まれることを目指したい。