広報、会計、資金調達、ボランティア・マネジメントといったNPO向けの専門的知識・スキル養成講座が各地で行われている。そのような講座が提供される背景には、団体が法人化されることで自団体の組織運営を考えたり、また行政や企業等と協働することで、自団体の事業やスタッフの専門性や効率化・合理化を促進する必要が出てきたなど、さまざまな理由があるであろう。また有償スタッフを雇用する法人として、経営を成り立たせることは大前提であるし、また組織の拡大に伴い、各個人の「専門性」を養成したり、組織運営のあり方を再検討したりすることは理にかなっている。「スタッフの専門性が低い」「団体の組織強化が必要だ」といった言葉が、NPO内部から発せられた時、「アマチュア」集団から脱却して、専門性をもった「プロフェッショナル」な組織になりたい、あるいは、なるべきだという考えがあり、それらは理解できる。

その一方で注意すべき事柄は、「NPOスタッフにはもっと専門性が必要だ」「組織としての専門化を推進する必要がある」といった時に言及される「専門性」「専門化」の意味である。確かにこれらの言葉には魅力的な響きがあるが、一方で市民活動の核となるべき「NPOらしさ」を骨抜きにしてしまう要素も含まれているからである。以下でそれを明らかにしたい。

そこでまずNPOスタッフの持つ「専門性」とは、何なのかを考えてみたい。私の考えるNPOのスタッフとしての「専門性」とは、「経験知」と「形式知」の相互作用の中で形成される「市民的」専門知とも呼べるものを持っていることだ。それは職業的な訓練といったもので育成されるものではない。現場という実践的な活動の中で得られる知識やスキル(経験知、経験則)をベースにしながら、問題解決のために、既成の知識や情報(形式知)を取捨選択したり、文脈的に解釈しながら取り入れる過程で醸成される専門知と言えよう。哲学者のR. Rortyは、知識とは真理や真実の追求というよりも実践的目的に結びつくべきもので、我々を取り巻く環境に対応すること、またより民主的な社会を構築する手段であると論じている。これは「市民的」専門知に非常に近いものといえよう。

それでは、「NPOスタッフにはもっと専門性が必要だ」という時に注意すべき「専門性」とは何か。それは「専門性」と言われる中に内在する「技術・合理的な価値システム」、言い換えれば「専門主義」とも呼べるものだ。組織学習の研究者であるD. Schonによれば、技術的・合理性は科学的で専門的な正確さとシステマチックに基準化された知識である。これにNPOのスタッフが持っている「専門性」(または「市民的」専門知)が取り込まれてしまうことは、「NPOらしさ」がなくなってしまうことを意味するし、また過度な「専門主義」は、芸術や未来像(ビジョン)、創造力を抑圧してしまう危険がある。

次に「組織としての専門化を推進する必要がある」といった時に潜む組織運営の「専門化」に対する留意点を見ていきたい。NPOもひとつの組織体として、経営・運営という視点が必要であることには異論がないであろう。現に多くのNPOは、マネジメント、ガバナンス、ステークホルダー、マーケティングといった経営学的手法をもって、組織の効率的な経営・運営を検証したり、戦略的な事業展開を検討する。冒頭のNPO講座も、運営体制の見直しや各スタッフのスキルアップのニーズといった文脈をもって理解することができる。しかしこういった手法を使うことは、あくまでも形式でしかない。組織として「専門主義」に絡めとられないために必要なのは、自分たちの活動の根源となる大原則、つまり「何のため」「誰のため」の「専門化」なのかを常に問うことではないだろうか。それは日本NPOセンターの場合、「信頼されるNPOの7つの条件」で提示されたNPO像であったり、各種被災地支援事業における「被災地に寄り添う」という姿勢だったりする。さらに組織としてのミッション(「何のため」「誰のため」に活動を行っているのか)が各事業に反映され、それに従事する各スタッフの「専門性」(同じく「何のため」「誰のため」に必要なのか)が結びつく時、初めて組織としての「専門化」に意味が出てくるものと考える。