フィランソロピー(慈善活動)は、約2500年の歴史を持つ理念であり、長きにわたり社会、経済、政治的な課題に取り組んできました。教育や医学研究の発展を促し、危機に際してコミュニティを支援し、技術革新や気候変動問題の解決を加速させてきたのです。では、このフィランソロピーの理念は、日本社会にどのような変化をもたらすのでしょうか。フィランソロピーは、ポジティブな変革の触媒として機能する可能性を秘めています。高齢化社会における健康増進、地域活性化、環境保全など、持続可能な社会の実現に向けて必要な資源、連携の機会、柔軟な対応を可能にすることで、社会全体に前向きな影響を与えることができるのではないでしょうか。
しかし、フィランソロピーの概念とその実践を深く理解し、それが日本の社会にどのような意味を持つのかを考察することが不可欠です。本連載では、この問いへの答えを探求していきます。第1回では、フィランソロピーの根源的な概念を理論的に探求します。続く第2回では、科学的フィランソロピーやフィランソロキャピタリズム(博愛資本主義)といった歴史的な流れから、現代の関連性フィランソロピーや社会正義フィランソロピーに至るまで、フィランソロピーの実践がどのように変化・発展してきたのかを概観します。そして、最終回では、これらの知見を踏まえ、フィランソロピーが現代の日本社会にどのような影響を与え、どのような可能性を秘めているのかを考察します。まずは、フィランソロピーの根源的な意味から探求を始めましょう。
日本語におけるフィランソロピー:翻訳が難しい複雑な意味合い
私は今年、関西学院大学客員教授として、石原俊彦教授の研究室メンバーと共に3ヶ月間、「フィランソロピーとは何か」という問いを深く掘り下げる機会を得ました。日本NPO学会での発表も含め、この探求を通じて、日本語におけるフィランソロピーの概念の曖昧さを痛感しました。この用語は、日本に導入されてからまだ日が浅く、「フィランソロピー」とカタカナのまま使われることもあれば、「慈善」や「博愛」と訳されるなど、定訳がありません。また、企業の社会貢献活動である「コーポレート・フィランソロピー」との結びつきが強く、より広義のフィランソロピー概念が曖昧になっている現状があります。
このような概念の曖昧さは、日本語に限らず、国際的にも共通する課題です。しかし、フィランソロピーの意味に対する共通理解が不足していることで、様々な問題が生じています。例えば、フィランソロピーに関する有益な情報交換が阻害され、以下のような課題が生じます。
- フィランソロピーに関する知見や教訓を共有・比較すること
- フィランソロピーに関する実践や政策への指針とすること
- 一般の人々のフィランソロピーに対する理解と参加を促進すること
- フィランソロピーがもたらすインパクトや成果を可視化するための取り組みを調整すること
つまり、これらを通じて、フィランソロピーの潜在的な可能性を最大限に引き出すことが求められます。しかし、現時点では、フィランソロピーに対する共通理解が不足していることが、その実現を妨げていると言えるでしょう。
フィランソロピーを定義する難しさ
フィランソロピーという用語は、古代ギリシャの「プロメテウスの鎖」にまでその起源を辿ることができます。ギリシャ神話に登場するプロメテウスが、人類への愛(philanthropos tropos)から、火と盲目の希望という2つの象徴的な贈り物を授けたという逸話に由来します。火は知恵や技術、盲目の希望は楽観主義や革新性を表し、これらを通して人類の幸福を願うという行為が、フィランソロピーの概念の根源となっています。そのため、フィランソロピーはしばしば「人類愛」と訳されるのです。ただ、その具体的な意味合いは時代や文脈によって変化してきました。
これまでの研究では、フィランソロピーを定義する際に、①感情や動機、②行動や振る舞い、③資源、④社会的効果、⑤制度的な側面という5つの異なる視点が採用されてきました。それぞれの視点がフィランソロピーの一側面を捉えているものの、全体像を把握するには至っていません。また、慈善、社会投資、企業の社会的責任といった関連概念との区別も曖昧なままです。
では、フィランソロピーをより深く理解するためには、どのようなアプローチが必要なのでしょうか。
フィランソロピーを理解する7つの基準
フィランソロピーを深く理解し、効果的に活用するためには、その本質的な特徴を明確にすることが不可欠です。15年にわたる研究から、フィランソロピーを構成する7つの核となる要素を特定しました。下はこれらの要素をまとめた表になります。これら7つの要素は、フィランソロピーに関する様々な定義や理論を統合する上で、重要な基盤となるものです。
1.エコシステムに関する基準:誰がフィランソロピーを行えるのか?
フィランソロピーというと、富裕層や大企業のイメージが強いですが、これは誤解です。フィランソロピーのエコシステムはもっと包括的で、社会貢献をしたいと願う全ての人々に開かれた、多様な主体が関われる活動です。個人、グループ、組織を問わず、それぞれが持つ資源や能力で、社会課題の解決に貢献することができます。単独での活動はもちろん、他の主体と連携し、より大きなインパクトを生み出すことも可能です。
2.資源に関する基準:フィランソロピーにはどのようなリソース(資源)が使えるのか?
フィランソロピーというと、金銭的な寄付をイメージする人が多いですが、それはフィランソロピーの一側面に過ぎません。フィランソロピーは、時間、財産、才能、そしてつながりといった多様な資源を社会のために活用する、より広範な概念です。これはフィランソロピーの4つの「T」と呼ばれています。
- Time(時間):ボランティアとして時間の提供
- Treasure(財産):金銭的、物質的な財産の提供
- Talent(才能):スキルや専門知識の共有
- Ties(つながり):社会的ネットワークやつながり
フィランソロピーのリソースが時間、財産、才能、つながりなど多岐にわたることを理解することで、フィランソロピーはもはや富裕層だけの活動ではなく、あらゆる人が参加できるものへと大きく広がります。経済状況に関わらず、誰もが自分なりの形で社会貢献できるという可能性が示され、フィランソロピーはより身近で、誰もが参加できるものとなります。
3.目的に関する基準:フィランソロピーの目的は何か?
緊急的な支援に焦点を当てる寄付とは異なり、フィランソロピーは、問題の根源に深く入り込み、その原因に取り組むことを目的としています。そのため、戦略的な計画に基づき、意図的に行動することが求められます。単発的な善意に頼るのではなく、長期的な視点で、持続可能な社会システム全体を改善するような解決策を模索することが重要です。
4.実行に関する基準:フィランソロピーはどのように行われるべきか?
フィランソロピーの基本は、個人の自由な意志に基づいた自発的な貢献活動です。強制されるものではなく、自ら進んで社会のために何かをしたいという気持ちから行われます。この点は、税金などの義務的な支払いとは大きく異なります。
5.恩恵に関する基準:フィランソロピーから誰が恩恵を受けるのか?
フィランソロピーは、寄付者が具体的な見返りを期待することなく、行われるべきです。金銭的な利益や物質的な利益を求めるべきではありません。経済的な利益や具体的な見返りを求める企業のCSRやコーズ・リレーテッド・マーケティング(CRM)とは異なり、フィランソロピーは、教育、医療、環境問題など、より広範な社会課題の解決を目指します。このような集団的、コミュニティ的志向性は、フィランソロピーを、自己利益を優先する行為とは一線を画すものにしています。
6.文脈に関する基準:フィランソロピーはどこで行われるのか?
フィランソロピーは行われる地域や文化、政治体制など、文脈によってその形や内容が変わることがありますが、特定の環境に限定されるべきではありません。日本、ドイツ、スコットランドなど、国や地域によってフィランソロピーの具体的な活動内容は異なっていても、これらはすべて、前述した基準に従って、正当な形で、同じような核となる実践を表現しているのです。
7.時間に関する基準:フィランソロピーはいつ行われるのか?
フィランソロピーは、特定の時代や状況に限定されるものではありません。たしかに具体的な行動は特定の瞬間に起こりますが、その根底には時間を超越した普遍的な理念が存在しています。この時間に関する基準は、フィランソロピーを現代の課題解決に貢献する永続的な活動として捉える上で重要です。
これら上記の基準に基づき、それぞれの特徴を総合的に考慮すると、フィランソロピーは以下のように定義することができるでしょう。
フィランソロピーとは、与える側と受け取る側の経済的地位に関係なく、個人、グループ、または組織が、単独または集団で、与える側が物質的見返りを期待することなく、文脈や時代に関係なく、社会のウェルビーイングを高めることを目的として、私的な資源(時間、財産、才能、つながり)を自発的に提供し、戦略的かつ意図的に利用することである。
この定義は、フィランソロピーを、単なる慈善や慈悲といった概念から一歩踏み出し、その複雑さと多様性を明確に示しています。すなわち、フィランソロピーは、社会全体に関わる広範な活動であり、特定の個人や組織に限定されるものではなく、誰もが参加できるものであることを示唆しています。では、この定義は、NPOの実務家や非営利セクターに関わる人々にとって、どのような意味を持つのでしょうか。
フィランソロピーの実践的意味合い
このフィランソロピーの定義と、それを支える基準は、非営利セクターに関わる人々(その分野で働いている人、支援している人、関連政策に関わる人など)にとって、深く考え、行動するための多くの示唆を与えてくれます。まず第一に、フィランソロピーを奨励するのであれば、時間、財産、才能、つながりなど、社会のあらゆる分野でフィランソロピーに関わる機会を提供する必要があることを示しています。次に、フィランソロピーは、一時的な救済策ではなく、持続可能な社会変革をもたらすための長期的な投資であるという認識が必要です。そのためには、強制的な義務ではなく、自発的な貢献を促すような仕組み作りが不可欠です。政府の責任を代替するものではなく、社会全体の活性化を目的とした補完的な役割として、フィランソロピーを位置づけることが重要です。最後に、フィランソロピーは、時代や地域によって異なる多様な側面を持つ活動です。そのため、画一的な枠組みではなく、それぞれの状況に合わせた柔軟な対応が求められます。多様な主体が連携し、地域の実情に根ざした実践と政策を展開していくことが重要です。
私は、今後このNPO CROSSの連載で、フィランソロピーが実際にどのように実践されてきたかを考察し、フィランソロキャピタリズム(博愛資本主義)やリレーショナル(関係性)フィランソロピーなど、現代のフィランソロピーの取り組みや考慮すべき点をいくつか取り上げたいと思います。
最後になりましたが、日本NPOセンターに、フィランソロピーの意味に関するこれらの考察を提供する機会を与えていただいたことに心から感謝いたします。