「ray」はBUMP OF CHICKEN、「vivi」は米津玄師と当代きってのJ-POPの雄による楽曲です。
J-POPというと、いかにも社会に対してモノを言いそうな恰好をしながら、実は売らんかなの商業ベースのバンドだったりすることがままあるので、あまり聴くこともないのですが、細かく見ていくと、あるいは、J-POPに浸っている息子たちと話をしてみると、そうでもないことがわかってきます。
このところ、ある大御所の歌手のコンサートが原発反対署名活動との関連が指摘される中で中止になったり、政府批判を行うとメディアから「干され」たりする傾向の中、表現者には居心地の悪い時代になってきています。ただ、この2曲を見ても、若い表現者たちは、歌詞のメタファーをうまく使って伝えようとしているように思います。
例えば「Ray」(2014年)の歌詞を見ると、「大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない」「理想で作った道を 現実が塗り替えていくよ」など、暗闇の中にある、シンプルな希望の光(ray)、つまり喪失を超えて前向きに生きる姿勢がうかがわれます。
「vivi」(2012年)は、もう少し直截的です。歌詞を見ても「忙しなく鳴るニュース 街から子供が消えていく」「灰になりそうな まどろむ街」などのフレーズから、東日本大震災を引喩しているのだと解釈する人も多いようです。そしてこの曲が入っているアルバムのジャケットに描かれているのはナマズの上に建つ街です。「vivi」は、ラテン語の「生きていること」という意味です。「生き抜いていこう」という意思が感じられます。
話は変わりますが、最近、個人的に「食」に関わる若い人たちとのつながりが増えてきました。コンビニ飯とは向こうを張る安全な「食」にこだわり、大きくブレークしなくても好きなことを好きなように好きなだけ取り組む彼ら彼女らと交わることがとても心地よく感じられます。
歌詞のメタファーなり、オルタナティブな食なり、若い人たちの表現の方法はとてもしなやかです。そこに共通するものは、クオリア(感覚質)を大切に伝えようとする姿勢です。「うまく言えないけど◎◎なんじゃないかなぁ」という肌感覚です。
地域では、NPOや市民活動に関わる人たちが高齢化する中、私の住む街でも若い人がいない!とよく言われます。若い人に限らず、ボランティアセンターと市民活動支援センターとそれぞれ関わる人がお互いを知らなかったり、それらに全く属さず独立系で動いている人がいたりして、もったいないなぁと思うこともよくあります。SDGsをもちだすまでもなく、市民活動のレイヤーや域を越えた横のつながりが求められています。
がんばっている若い人たちとも少し視野を広げてみると出会えるかもしれません。キーワードはクオリアかな。
■ご参考
「ray」BUMP OF CHICKEN
「vivi」米津玄師