多民族が共生する小さな都市国家シンガポールは、人々の共同の努力と「繁栄の分かち合い」を土台に、活気あふれる国際都市へと進化を遂げてきました。社会の基盤に深く根付いたこの精神は、多文化社会であるシンガポールが、高齢化の進展や先行き不透明な経済・ビジネス環境に立ち向かう上で欠かせないものです。特に、地政学的な緊張が世界的に高まる今、その重要性はかつてないほど増しています。
2025年の建国記念大会(ナショナル・デー・ラリー)の演説において 、シンガポールのローレンス・ウォン首相は「We First(『私たち』を第一に考える)」社会というビジョンを掲げ、次のように語りました 。 「もし私たち一人ひとりが、ケアし合い、貢献し、互いを思いやるという『私たち(We)』のための役割を果たせば、結果として『私(Me)』もまた、生き生きと成長し、繁栄することができるのです。」この文脈において、社会の結束や共に担う責任は、単なる理想論ではありません。それは、私たちがより良い未来を共に築いていくための、極めて現実的かつ具体的な戦略なのです。
シンガポールの寄付文化の現在地
では、シンガポールの寄付を取り巻く環境は、具体的にどのような姿をしているのでしょうか。
シンガポールにおける寄付やボランティア活動の推進を担うナショナルセンターであり、筆者が所属するNational Volunteer & Philanthropy Centre(NVPC)が実施した「National Giving Study 2023(寄付実態調査 2023)」は、シンガポールの人々の寄付・ボランティア行動の現状を包括的に描き出しています。本調査では、単なる行動実績やトレンドだけでなく、人々の背中を押す「動機」や、寄付を妨げている「障壁」についても深く掘り下げています。

寄付やボランティアへの参加率には、良好な傾向が見えています。2023年の調査では、シンガポールの人口の約30%がボランティアに参加し、62%が寄付を行いました。これはコロナ禍以前の水準まで回復したことを示しています。しかし一方で、一人あたりの参加時間や寄付額の平均(平均値・中央値)は減少傾向にあることが分かりました。ボランティア活動時間の中央値は、2018年の24時間から、2021年に12時間に、さらに2023年には9.43時間へと大幅に減少。寄付金額の中央値については、2018年の100シンガポールドル(※約1万1,000円)から2021年には200シンガポールドルへと倍増したものの、2023年には再び100シンガポールドルへと戻っています。特筆すべきは、寄付者の半数以上(55%)およびボランティアの6割以上(61%)が「機会がある時にだけ行う層」であるという点です。これは、シンガポールにおける社会貢献活動が、習慣として定着しているというよりも、「単発的・一時的なイベント」として行われる傾向が強いことを示唆しています。
寄付やボランティアの支援先(受け手)を分析すると、シンガポールの人々が「どのような層を脆弱だと捉えているか」や「社会的な優先順位をどこに置いているか」というパターンが浮き彫りになってきます。ボランティア活動では、高齢者、子ども、そして若者への支援に多くの手が挙がっています。これらの層は、ケアや指導、あるいは何らかのサポートを必要とする対象として認識されやすい傾向にあります。同様に、金銭的な寄付においても、高齢者、子ども、そして宗教団体が支援先のトップ3を占めました。なかでも「宗教団体」への寄付が際立っている点は、シンガポールの社会生活や福祉支援において、信仰に基づく組織(フェイス・ベースド・オーガニゼーション)が引き続き重要な役割を担っていることを物語っています。
伝統的な手法の枠を超えて、新たな選択肢としての支援の形も着実に広がっています。例えば「giving.sg」のようなオンライン・プラットフォームの普及により、寄付やボランティア、ファンドレイジングへの心理的・物理的なハードルが下がり、より身近で便利なものとなりました。また、SNSは社会課題への支持を広げ、支援を募るための強力なツールとなっています。個人のストーリーやネットワークを活用することで、これまでは届かなかった層へのアプローチも可能になりました。さらに、日常生活や家計の負担にならない範囲で参加できる「マイクロ・ボランティア」の機会も増えています。こうした「隙間時間」での貢献は、忙しい現代人のライフスタイルに無理なくフィットしています。これらのトレンドが示すのは、シンガポールの寄付・ボランティアのあり方が、多様化とデジタル化によってさらなる広がりを見せているということです。これにより、あらゆる立場の人々が、それぞれのやり方で地域社会に貢献できる機会が整いつつあります。
シンガポールの「寄付エコシステム」
「寄付やボランティア」と聞くと、個々人の自発的な行為のように思えるかもしれません。しかし実際には、多様なステークホルダーが相互に関わり合い、支え合う、広大で複雑なシステム(エコシステム)の中に存在しています。シンガポールの社会貢献の現状を真に理解するためには、市民(People)、企業(Private)、政府・行政(Public)の「3つのセクター」が、さまざまなプログラムやイニシアチブを通じてどのように関わり、いかに連携し合っているのかを紐解いていく必要があります。
コミュニティ主導の取り組み
個人や、草の根ネットワーク、そして「グラウンドアップ・イニシアチブ(市民有志による自発的な活動)」といったインフォーマルなグループは、地域のニーズに対して極めて迅速に対応することができます。こうしたグループの多くは、支援を必要とする人々のすぐそばで活動し、直接的な対話を行っています。そのため、その支援は機動力に富み、一人ひとりに寄り添った人間味のある対人関係を築けるのが特徴です。また、地域レベルでの「帰属意識」や、「自分たちのコミュニティを共に支え合う意識」を育む上でも、大きな役割を果たしています。
ここには、自分の情熱を傾けられる社会課題や団体に貢献する活動的なボランティアや寄付者だけでなく、日常の生活圏内で周囲の人をさりげなく気遣う隣人たちも含まれます。彼らが周囲を巻き込み、組織的に動くことで、一人ひとりの力を結集して社会的なインパクトを生み出す「グラウンドアップ」の活動へと進化していきます。こうした取り組みは、他の組織では十分に対処しきれないような支援の隙間(ギャップ)を埋める役割を果たすことがよくあります。
例えば、「24asia」という取り組みはその好例です。創設者のナズムル・カーン氏は、シンガポールで働く外国人労働者たちが、スキルアップのための時間や機会を十分に持てていないことに気づきました。2018年の設立以来、24asiaはこれまでに3,800名以上の外国人労働者に対し、デジタル・リテラシーや人前で話すスキル、リーダーシップなどのトレーニングを提供しています。
非営利組織と企業
非営利組織(チャリティ)や民間企業といった「法人」は、組織的な構造と規模を活かし、大きなリソース(資金・人材・物資)を集約して提供する役割を担っています。
非営利組織は、支援現場の最前線で活動し、専門的なプログラムやサービスを運営します。また、高齢者支援、動物愛護、福祉サービス、環境保護といったさまざまな課題に対して、社会の関心を高め、政策提言(アドボカシー)を行うエンジンとなります。シンガポールでは、これらの組織は「認定公益団体(IPC:Institution of a Public Character)」として登録されることがあります。IPCとして認められると、法人税や固定資産税の免除を受けられるほか、寄付者に対して税制優遇(寄付金控除)の受領証を発行することが可能になります。
一方、民間企業もまた、寄付や社員によるボランティア機会の提供、さらには自社の専門知識やテクノロジーの共有を通じて、社会的な責任を果たしています。昨今では、環境・社会・ガバナンス(ESG)へのコミットメントも不可欠となっています。企業がその存在意義(パーパス)を「単なる利益の最大化」から「社会へのポジティブなインパクトの創出」へと再定義し、戦略や事業運営をそれに合わせて再編したとき、支援は「一回限りの寄付」から、より持続的でインパクトのある「リソースと能力の活用」へと進化します。例えば、地元のコーヒー会社であり社会的企業でもある「Foreword Coffee」は、障がい者のトレーニングや雇用機会を創出しています。コーヒーを通じた温かな交流の場を提供することで、障がい者に対する社会的な偏見(スティグマ)を解消しようと取り組んでいます。
政府(パブリック・セクター)
シンガポール政府は、寄付やボランティアを「促進」し、かつ「規律」を保つ上で極めて重要な役割を担っています。「チャリティ法(慈善団体法)」のもと、チャリティ委員会(Commissioner of Charities)が登録団体や認定公益団体(IPC)を統括し、その運営および財務活動を規制することで、透明性の確保と市民からの信頼強化を図っています。加えて、さまざまな政策やインセンティブ、管理体制の構築を通じて、国内のフィランソロピー(社会貢献活動)やボランティア活動を強力に支援してきました。

その代表例が、寄付者の課税対象所得を差し引くことで金銭的なメリットを提供する「寄付金控除制度」です[*]。個人や企業が認定公益団体(IPC)に対して寄付を行うと、対象額の最大2.5倍という手厚い税額控除を受けることができます。これにより、寄付という利他的な行為に、実質的な負担の軽減という形でのメリットが加わっています。
* シンガポールの個人所得税は累進課税制度をとっており、所得が高いほど高い税率が適用される仕組みとなっている。
また、シンガポール政府は「法定外郭団体」を通じた独自の支援策も展開しています。例えば、シンガポールのNational Council of Social Service(全国社会サービス協議会)の募金・配分部門であるCommunity Chest(共同募金会)は、300以上の重要な社会福祉プログラムを支援しており、その受益者は9万4,000人以上の個人や家族に及びます。政府は現在、この共同募金会が展開するキャンペーンに対し、最大2億5,000万シンガポールドル(約275億円)を上限に、寄付額と同額を政府が拠出する「マッチング・グラント」を実施しています。
さらに、シンガポール財務省傘下の法定外郭団体である「トート・ボード(Tote Board)」も、基金増額プログラム(EFR)を通じてファンドレイジングの加速を後押ししています。この制度では、社会的弱者を支援するプロジェクトに対し、1団体あたり最大25万シンガポールドル(約2,750万円)を上限として、寄付額と同額の資金をトート・ボードが上乗せします。例えば、対象となるプロジェクトが1,000ドルの寄付を集めた場合、EFRプログラムからさらに1,000ドルが追加され、寄付を実質的に「2倍」に高めることができるのです。
こうした政策や取り組みは、シンガポール政府が、非営利セクターの透明性を確保しつつ、市民の社会参加を育むことに深くコミットしている姿勢を鮮明に示しています。
NVPCの役割
市民、企業、政府の3つのセクターにまたがる「寄付エコシステム」において、私たちNVPCはセクターを超えた「招集者(コンビーナー)」、そして「イネーブラー(実現の担い手)」としての機能を担っています。ボランティアとフィランソロピーの文化を全国に根付かせるための専門機関として、NVPCは個人、組織、コミュニティ、そしてリーダーたちを繋いでいます。シンガポールの「心の拠り所」を育み、より思いやりに満ちた、包摂的で温かな社会を共創することを目指しています。
NVPCは、あらゆる人が「いつでも、どこでも、毎日」貢献できるよう、支援(ギビング)をより包括的に定義しています。それが「5つのT(5Ts)」、すなわち「時間(Time)」、「才能・スキル(Talent)」、「財産・寄付(Treasure)」、「人脈・繋がり(Ties)」、そして「体験談・発信(Testimony)」です。これら5つの側面はそれぞれ異なるフィランソロピーの形を表しており、一人ひとりが持つ独自の資源、スキル、ネットワーク、そして人生経験を社会に活かすためのものです。このように支援の概念を広げることで、誰もが自分に最適な方法で有意義な貢献を行い、コミュニティにインパクトをもたらすことが可能になります。

こうした誰もが参加しやすい支援の具体例が、NVPCが運営する全国規模のオンライン・プラットフォーム「giving.sg」です。このサイトは、寄付者、ボランティア、そして非営利組織を、共有された安全なオンライン上のスペースで結びつけています。700以上の団体が登録されており、ユーザーは寄付、ボランティア、資金調達といった多様な支援機会の中から、自分の心に響く活動を簡単に見つけ、支援することができます。Giving.sgは、寄付やボランティアを「いつでも、どこでも、誰にでも」身近なものにしました。オンライン決済が主流になる中で、Giving.sgは、デジタル技術を活用して支援の門戸を広げ、社会的なインパクト創出に向けた幅広い市民参加を促す上で、不可欠な役割を担っていることを示しています。
また、NVPCはまた、「カンパニー・オブ・グッド(COG)」プログラムを通じて、シンガポールで活動する企業が社会貢献活動(Do Good)に取り組むよう働きかけています。2016年に発足したこのCOGは、例えば「Project V」のような取り組みを通じて企業を支援しています。このプロジェクトは、企業と地域のパートナー団体を繋ぎ、社員による継続的なボランティア活動をサポートするものです。さらに、「Grow with Purpose」といった体系的な学習プログラムでは、企業同士の相互学習や実践的なガイダンスを提供し、各社の社会貢献スキルを高める支援をしています。こうした取り組みは、企業が自社のビジネスに「パーパス(存在意義)」を組み込むためのツールや枠組み、そして学びとネットワークの機会を提供しています。
市民主導の草の根活動に対しては、NVPC、テマセク財団、トート・ボードの3者が連携して立ち上げた「BAGUS(Building All Groundups for Success)Together」による支援が進められています。この取り組みは、活動を始めたばかりの「チェンジメーカー」や有志団体を対象に、共通で利用できる機材・場所などのリソース、資金助成、そしてネットワーク形成の場を提供するものです。さらに、活動の認知度を高め、アドボカシーを広めるための後押しも行っています。こうした活動の創設者の多くは、情熱にあふれ、自ら道を切り拓こうとする「セルフスターター」ですが、一方で時間や資金の不足という壁に突き当たりがちです。BAGUS Togetherは、そうした現場の「あと一歩」を埋めることで、市民主導の運動が健やかに育ち、大きなうねりとなって発展していけるようエンパワーメントしています。
最後に、NVPCはシンガポール全土で「ギビング(分かち合い)」の精神を強化するための大規模な運動を組織しています。その代表格が、10月から12月にかけての年末の寄付シーズンに合わせて開催される全国キャンペーン「ザ・グレート・シンガポール・ギブ(GSG)」です。このキャンペーンは、市民・企業・政府の3つのセクターから個人や組織が集い、あらゆる形の「善意」を称え合う場となっています。期間中、シンガポール全土のいたるところで多彩なイベントやボランティア活動、ファンドレイジングが展開されます。GSGは、誰もが何らかの形で貢献できる多様な機会を創出し、一過性ではない持続的な「分かち合いの運動」を築き上げることを目指しています。
こうした一連のプログラムや取り組みを通じて、NVPCはシンガポールの寄付エコシステムにおいて唯一無二の役割を果たしています。市民・民間・公共セクター間の協力と連携を強化し、それぞれの能力とリソースを融合させることで、社会全体の利益のためにそのインパクトを増幅させ、最大化させているのです。
「私たち」を起点とする未来へ
シンガポールが直面する現在の、そして次世代の社会経済的な課題を乗り越えていく上で、「共に責任を分かち合う(コレクティブ・レスポンシビリティ)」という考え方は、ますます不可欠なものとなっています。こうした複雑な課題は、いかなる単一の組織やセクターだけで解決できるものではありません。企業、非営利団体、コミュニティ、そして政府のそれぞれが、極めて重要な役割を担っています。その中でNVPCが果たすべき役割は、セクターを超えた連携を強固にすることです。それにより、個人やグループ、組織による「ギビング(支援)」が、一過性の活動で終わることなく、時間の経過とともに社会に浸透した習慣となり、それがさらなる善意を呼ぶ「当たり前の文化」として社会に根付いていくことを目指しています。
こうした取り組みを通じて、シンガポールは、より思いやりに満ちた包摂的な社会、そして持続可能な「パーパス」に根ざした文化を築き上げることができます。そして、支援が単なる「たまに行う活動」ではなく、「その人のあり方」の一部となるような社会、すなわち冒頭で述べた「We First(私たちを第一に考える)」というビジョンの実現へと、一歩ずつ近づいていくのです。
