<執筆>竹内 紀将   <セミナー> アムネスティ・インターナショナル日本 「ビジネスと人権」入門セミナー

会社勤めの経験がある人ならば、一度は上司や経営者への不満を抱えたことがあると思う。「残業代が支払われなかった」「女性だからという理由で接待に出席させられた」「査定が個人の好き嫌いに左右される」。事情や程度はさまざまあるだろうが、いずれも人権侵害につながる行為である。

昨今、世界では労働災害を伴う人権侵害が問題視されており、「ビジネスと人権」をキーワードとする法規制の整備が、欧米を中心に進んでいる。世界の人権問題というと大仰にとらえる人もいるかもしれない。しかし、労働が生活の多くの時間を占めることは世界共通である。身近な問題としての「ビジネスと人権」について知るべく、アムネスティ・インターナショナル日本の「ビジネスと人権」入門セミナーに参加した。

身の回りのものにひそむ人権侵害の影

セミナーではまず、「ビジネスと人権」の問題と私たちの日常生活との関わりを示す、ある事例が紹介された。中央アフリカにあるコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)のコバルト採掘場での労働問題だ。

コバルトは、電気自動車、携帯電話、ノートパソコンなどに使われる充電式リチウムイオンの原料となる鉱石で、世界産出量の約半分がコンゴから産出される。コンゴ産コバルトの20%が手掘りで採掘されており、そうした手掘り採掘の現場では、安全管理体制の不備による労働者の健康被害や児童による不当な労働もあったという。地下坑道での落盤や窒息などの死亡事故も起きているが、その件数は正確には把握されていない。さらにそうした環境で生産されたコバルトが、各国の部品メーカーに供給されている可能性があることがアムネスティの調査で判明した。

このことは、途上国におけるずさんな労働管理の実態を伝えているだけではない。遠く離れた地に暮らす私たちの日常的な消費行動で、誰もが知らぬ間に人権侵害に加担してしまう可能性をも示している。

またこの問題は、昨今活発なSDGsへの取り組みが抱える課題を示唆してもいる、とアムネスティは分析する。リチウムイオンバッテリーの原料であるコバルトの採掘は、電気自動車を生産するための事業活動の一環でもある。すなわち、17のゴールの一つ、気候変動への対応を目指して発展する新しい産業が、人権侵害を助長してしまっているというわけである。

SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」という理念は、「社会のすべての構成員の尊厳と権利を承認する」という人権の考え方と一致する。しかし、理念の実践に伴うリスクを見落としてはならない。ではそのリスクを回避するためには、誰がどのような行動をとるべきなのだろうか。

「ビジネスと人権」をめぐる世界の動き

アムネスティが調査して判明した、労働現場での人権問題は他にもある。インドネシアでは、食品や洗剤、燃料に使われるパームオイルの原料であるアブラヤシの農園で、不当な減給や時間外労働手当の未払いなどがあった。日本では「サービス残業」という言葉があるくらいで、こうした問題は他人事とは思えない。

しかし、充電式バッテリーや食品の原料が、人権侵害を伴う労働により生産されているからといって、それに加担しないために私たちがスマートフォンを一切使わず、パンをまったく食べずに生活することは現実的ではない。企業の活動により生じる人権問題は、企業により防がれるべきなのである。セミナーでは、こうした考え方をめぐる世界的な動きが紹介された。

2008年、国連で「保護・尊重・救済のフレームワーク」が策定されている。これは、「人権を保護する国の義務」「人権を尊重する企業の責任」「救済へのアクセス」の3本柱から成る考え方だ。

【国連の「保護・尊重・救済のフレームワーク」】

企業は人権を尊重する責任を負う。それは自社の事業のみならず、原料生産、部品の調達、製品の販売・使用・廃棄・リサイクルに至るところまで及ぶ。コンゴの事例でいえば、コバルトを供給する企業、バッテリーの部品などを製造・販売する企業といったすべてが、鉱山を含むすべての現場の労働者に対し、人権を尊重する責任を負うということになる。

このフレームワークの実践を目指し、2011年には国連で「『ビジネスと人権』に関する指導原則」が策定。この指導原則が、現在の「ビジネスと人権」の考え方のグローバル・スタンダードとなっている。

欧米では2010年頃から、企業活動に関わる人権への負の影響と、その対応の開示を求める法規制が進んでいった。日本では2020年10月、政府の関係府省庁連絡会議により、「ビジネスと人権」に関する行動計画が策定されている。

【人権リスク対応を求める世界の法令】

2010年米国カリフォルニア州が「サプライチェーン透明法」を制定
2015年英国「現代奴隷法」を制定。企業に人権リスクの分析・公表を求める
2017年フランス「企業注意義務法」を制定。人権デューデリジェンスを義務化
2018年豪州「現代奴隷法」を制定
2019年オランダ「児童労働デューデリジェンス法」を制定
※人権デューデリジェンス=企業が事業活動に伴う人権侵害リスクを把握し予防、軽減策を講じること

この行動計画を受けて、国内でも徐々に法規制の動きが出てきてはいるが、世界に対しては後れをとっている、というのがアムネスティの見方である。一方で、個々の企業を見れば、国内の法整備に先んじて、欧米の取引先から求められ人権への取り組みを進めている事例もあるという。近年ではそうした企業を中心に人権方針の策定が進んでおり、それに牽引される形で、日本のさまざまな企業が人権に関心を払う動きができつつあるといえる。

コンゴのコバルト鉱山での労働問題をめぐっては、アムネスティなどの指摘を受けて、ソニーグループが対応している。すべてのバッテリーおよびバッテリー部品の供給元を対象に、コバルトの流通過程の調査を実施したのである。そしてコンゴから産出されるコバルトに関わる供給元を特定。そのうえで、調査の対象とした企業よりもさらに上流の供給元を含むサプライチェーンに対し、グループのサプライチェーン行動規範の遵守を徹底するよう求めた。

日本企業に求められる人権の意識

「ビジネスと人権」の問題、すなわち企業活動における人権問題は、遠い紛争地域や途上国でのみ起こる対岸の火事ではない。

厚労省の「過労死等の労災補償状況」によれば、2020年度、精神障害による労災の支給決定件数が過去最多となり、その要因のトップはパワハラだった。国内でハラスメントに対する関心が高まっているからでもあるだろうが、一方で、声の小さい労働者が経営者の人権侵害に対して泣き寝入りする実態が、現場に潜在していると考えられないだろうか。

「人権を尊重する企業の責任」を理解し実践していれば、こうした問題は生じないはずである。長時間労働や休日出勤の強要、残業手当の未払いなどといった事例はしばしば耳にするが、多くの場合、経営者に悪意はなさそうである。特に中小企業は、投資家の目にもさらされにくく、人権方針を定めることも少ないだろう。それが人権侵害にあたることを認識していないことから生じる、慣例的な人権侵害。根は深い。

アムネスティでは、経営者への啓蒙と同様に、若い世代への教育も重要なものととらえている。次のような言葉に、その姿勢を見ることができた。

「重要なのは人権の考え方を知ること。若い世代がそれを知ることで、自分が社会人になって理不尽な扱いを受けたときに、声を上げることができるようになります。また、企業のなかに声を上げるためのシステムができて、その声を吸い上げる機能が備わるようになれば、いろいろなことが改善していくのではないでしょうか」

次の世代を託される新しい世代が、「『ビジネスと人権』に関する指導原則」のようなグローバル・スタンダードを知ることで、世界に後れをとる日本企業の人権尊重への関心が強化されていくことを期待したい。

図はヒューライツ大阪サイトを参考にNPOCROSS編集チーム作成(閲覧日:2021年8月29日)

https://www.hurights.or.jp/japan/aside/ruggie-framework/