<取材・執筆>入江 典子  <取材先>和泉市心身障がい児(者)手をつなぐ親の会(和泉市手をつなぐ親の会)

“このサロンは楽しい、私も参加したかった”
今回紹介する「はったつ子育てサロン」に取材で初めて参加させていただいた私の感想だ。
“参加したかった”というのは、過去の自分を思い出し、こみ上げてきた気持ちである。
私の娘はASDという発達障害があり、娘が社会に適応できずひきこもり始めてからの10年は、これといった手立ても打てないまま過ぎた経緯があった。
その時をふと思い出し、当時の私に“こんな素晴らしいサロンがあったよ”と言いたくなった。

今回取材したサロンは、和泉市心身障がい児(者)手をつなぐ親の会(略称・和泉市手をつなぐ親の会。以下、親の会)発達障がい児者部会主催の「サロン」だ。
2024年7月18日(木)大阪府和泉市の和泉シティプラザ4階研修室で開催された。和泉市教育委員会が後援している。
サロンの趣旨は、子どもの発達のことで悩みや相談があるなどの家族が集い、思いを共有し次の小さな行動の一歩につなげることで、毎月定期的に開催している。サロンの特徴は以下の2点だ。

  • 会員、非会員にこだわらず、すべての人が対象で自由に参加できる
  • 開催時間内であればいつ来ても、途中で帰っても自由

つまり、当日の子どもの状況に応じて動ける時に来てみませんかという、緩いスタイルをとっている。 そのため、何人くらい来るのかは事前に予想ができない。
お菓子と飲み物の準備をしながら、サロンの運営にあたる4人の役員の方はのんびりと参加者を待つ。
「1人も来ない日もありますね」
開始前の説明で、役員のひとりである上田恵美さんはやさしく微笑む。  

参加者同士が悩みを共有する

この日は、開始の10時を過ぎると1人、また1人、と最終的に5名のお母さんたちが来られた。
開始直後の時間は、まず1人の役員の自己紹介から始まる。参加者に順番が回ると、自己紹介のあと、子どもの状況を話しながら今悩んでいることを打ち明ける。
不登校、勉強のこと、学校以外での本人の居心地の良い場所はあるのか、本人が無理なく過ごせそうな環境や居場所をどうやって探すのか等。時期的に夏休みの過ごし方も話題になった。参加者か役員かといった立場に関係なく、知っている情報を共有し、話し合う。途中から入室したお母さんもいたが、特に注目を浴びることもなく、気兼ねない雰囲気で会話は続く。
最初は緊張感があり、会話もはじまりにくい様子であったが、時間の経過とともに緊張はほぐれ、徐々に温かい空気に変わり始めた。ぽつぽつ話が切り出されるたびにみんなで耳を傾ける。

コロナ禍の孤独感

サロン開始前、「今小学校低学年のお子さんは、幼児期がちょうどコロナ禍で、横のつながりが無くなった時期です。その頃、お子さんと2人で出向いた公共の遊び場で、よく知らない親子づれの中でお子さんの特性が表れてしまい、早々に引き揚げるなどの苦労があったと聞きました」と上田さんからコロナ禍の厳しい制限下の話を聞いた。
奮闘せざるを得なかったお母さんの孤独が想像できる。

サロンでは、参加者の一人が悩みを話すと、知っている情報やアドバイスがたちまち別の参加者から出る。そこにあるのは、コロナ禍を過ぎ、再びつながれる安心感の中で、今後の尽きない悩みを吐露し、少しでも前向きに可能性を探ろうとする姿だ。共通するのは、お子さんそれぞれに特性をもちデリケートな性質をもっている故に、親同士が悩みに共感し、慎重に考えた末の、何とかできそうな小さな提案を出し合うこと。本人の気持ちを一番に尊重しながら、本人の成功体験につながるような小さな方法をみんなで真剣に考えていく。

子どものためにできることはしてあげたい、でもここまでしかできないという明確な線もある。傷つきやすい子どもの場合、コツコツと積み上げてきた信頼が、お母さんの感情の起伏で子どもにあたってしまったなどで、一瞬で壊れてしまうこともある。
それでも子どもに社会とのつながりをもってほしいし、学校だけでなくもっと広い世界があると知ってほしい。無理なく外との接触がはかれる方法や場所を知りたいというお母さん方の切実な思いと悩み、そして願いがあふれている。
サロンに集う参加者や役員の共通意識は、当人である子どものために【最善】と思われる方法を丁寧に探り、情報を教え合うところにある。

その結果、和泉市や支援学校、放課後等デイサービス、官公庁や民間のサービスも含め、無理なく当人が行動できる可能性があればつながるように連携を取る。医師の意見書が必要な際は、困っていることを医師にしっかり伝えるなど具体的な対策も伝えながら、行動できるよう背中を押す。

強みを生かし活動する役員の方たち

「和泉市から依頼を受けて発足50年を迎えた親の会は、当初から会員同士で助け合い寄り添うスタンスは変わっていないです」と、数十年前に会に参加し、会長職を担って5年目の南朋子さんはきっぱりと言う。和泉市は当初より福祉に手厚い市としての認知があったそうだ。そのため南さんも他市より和泉市へ転居した経緯がある。
他の役員の方も、それぞれの強みを生かして会や事業の運営にあたっている。会長をしっかりサポートし情報も豊富な副会長の藤井かをりさん、SNS発信やチラシ作成などを担当する荒木千賀子さん、会員や来館者の話をやさしく受け止め提案を探る上田さん。4名の役員の方が、参加者の日々の悩みに心を寄せ、お子さん第一の目線で一緒に前へ進む方向を照らすように寄り添っていた。

左から藤井さん、南さん、荒木さん、上田さん

部外者の私が10年前一番欲しかったのは、このサロンのような【横のつながり】で悩みを聞いてもらえる人たちの存在だった。当時は一人で悩み、娘のために多くの方法を試したが何一つ実らず、娘も私自身も孤独感で押しつぶされそうだった。繰り返す日々が光の無いトンネルのようだった。

今後の展望

2005年に発達障害者支援法が制定され、2016年に改定された。それを基に発達障害者支援センターの設置が進み、大阪府内での相談支援や発達支援などのサポートも充実している。
ハード面の充足は早まっているが、当事者や家族の心情に対するソフト面も同じように充実させるため、今回のように同じような悩みを共有できるサロンの役割は大きい。毎日お子さんと向き合うお母さんの心のケア、悩みを共有し、SNSなどの情報よりも信頼できる地域密着の確かな情報はとても貴重だ。と同時に月1回のサロンは、顔を合わせてこれからの生活を応援する場でもある。
会員向けに年1回のバスツアーも開催しており、参加した子どもが学校でその楽しさを作文に書いて発表するほど、なじんだイベントになっているそうだ。サロンでたくさん話をして悩みを吐き出せた参加者たちは、来たときより少し明るくなったように見えた。  

親の会は【障がいを問わず子どもたちのため皆で手をつないで歩もう】という強い思いのもと、今回の発達障がい児者部会のほかにも知的障がい児者部会と肢体不自由児者部会なども活動をしている。学校にチラシを配布し、23もの事業所や和泉市社会福祉協議会と連携を取りながら、生きづらい子どもや家族とのつながりを広げている。3年前には50周年を迎え盛大な記念式典も開催された。
子どもの発達に気になることがあるお母さんが病院での受診を考える際に、公的機関に相談をするよりもまず同じようなお母さんたちと話をして、次の足がかりを見つけることができるかもしれない。
「私も同じ」
「そうそう、わかるわかる」
「あの学校の〇〇先生はねぇ、よく聞いてくれるよ」など、
地元民ならではの生きた情報と温かいつながりを得て、お子さんのための次の大事な一歩が得られる素敵なサロンだと強く感じ、温かい気持ちで帰路についた。

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