いま香港では大規模な市民によるデモが起こっている。「逃亡犯条例 (※1) 」 という日本ではあまり馴染みのない条例の改正に反対するために、じつに香港市民の4人に1人が路上デモに参加したという。香港市民がなぜここまで怒っているのか。なぜ多くの一般市民がデモに参加しているのか。日本NPOセンターが運営するテックスープ・ジャパンの香港のパートナーである香港社会服務協会(The Hong Kong Council of Social Service)の一員で、社工復興運動 (Reclaiming Social Work Movement) という香港の市民社会組織のメンバーである邱瑞玲 (Louisa Yau) さんに、日本の市民に知らせたいことについて特別に寄稿いただいた。(寄稿文翻訳者:土屋一歩)

2014年の雨傘運動(※2)以後、香港の市民社会は分裂し、香港政府に不満を感じていました。そして2019年6月に突如として、「逃亡犯条例改正反対運動」という形で市民社会は復活しました。民主派、本土派 (※3) の両陣営の面々が、地元市民とともに自由のために闘おうと団結したのです。これは香港政府やその支持者を含む誰もが予期していないことでした。

条例改正を巡って大きな論争があったにもかかわらず、香港政府はいかなる手段を使ってでも7月までに条例を可決することを目指していました。親中派が多数を占める香港立法会(※4) の議長は、わずか66時間しか議論の時間を割かず、6月13日に条例の採決を行おうとしていました。香港政府と支持者の傲慢さは、世論の緊張を高め、逃亡犯条例改正の反対運動に、予期していなかった地元住民の支持を動員したのです。この条例改正を止めるため、100万人以上の人々が6月9日、デモに参加しました。しかし、記録的な参加者数となったデモの直後、香港政府は条例改正を予定通りに採決するとの声明を発表し、100万人の市民の声はまったく無視される結果となったのです。

6月9日のデモにて。左が筆者。右は同じく社工復興運動のメンバー。手にしている人物の写真は、ソーシャルワーカーで香港立法会議員のシウ・カー・チュン。雨傘運動に関わったかどで現在投獄されている。

警察が大多数の平和的な抗議者や、ジャーナリスト、医者、救急隊員に対して、不必要で過度な暴力を使ったことで、香港の人々はさらに怒りを感じました。6月12日のデモを解散させるため、催涙ガス、ビーンバッグ弾やゴム弾、唐辛子の催涙スプレー、警棒が使われました。香港の行政長官と警察長官はともに、抗議者を「暴徒」と形容しました。政府は過去、2016年に起きた「旺角(モンコック)衝突事件 (※5) 」を暴動であるとして、抗議者たちに3年から7年の禁固刑を宣告しましたが、私たち、中国への引き渡しに反対する抗議者は、暴動罪を理由に刑務所入りとなる新たな犠牲者が出ることを望んでいません。私たちが要求したのは4点。1)条例改正の撤回、2)6月12日の衝突の「暴動」という表現の撤回、3)警察の残虐行為に対する公正な調査、4)行政長官の辞任 です。

私たちは6月16日に新たな抗議行動、17日にストライキを計画していました。香港特別行政区行政長官は、大規模デモの前日となる6月15日に、抗議活動とストライキを止めるために条例改正を延期することを発表しました。しかし、行政長官は自ら作り出した混乱の謝罪を拒否しただけでなく、残虐行為を含む警察の活動も是認したのでした。このような政府の対応は、香港の人々に対してさらに強い緊張と怒りをもたらす結果となりました。行政長官のこの発表の直後、地域の一市民が香港政府庁舎近くのショッピングモールであるパシフィックプレイスの高台に、以下の文言が書かれた垂れ幕を広げました。

「中国への引き渡し反対、逃亡犯条例の完全撤回、私たちは暴徒ではない、学生とけが人を釈放し、キャリー・ラム(行政長官)は辞任を。香港の救済を。」
とても残念なことに、その男性は建物から足を踏み外し、夕方に亡くなりました。

私たちは、安全と命も危険にさらし、暴徒として逮捕された熱き若者たちが条例改定の一時的な延期を勝ち取ったことを知っています。さらに同胞である一市民が条例に抗議し、純粋で熱い若き抗議者を守るために命を犠牲にしたのを目撃しました。だからこそ6月16日の抗議には、200万人もの市民が参加したのです。行政長官は自身の愚かさと頑固さを謝罪しなければいけません。私たちは4つの要求を大声で明確に表明しました。

行政長官はいまだに私たちの4つの要求に取り組んでいないため、6月21日に何千人もの抗議者、主に若者が中心になって12時間以上にもわたり香港警察本部を包囲しました。逃亡犯条例の反対運動は継続すると予想されています。

デモのスタート地点となったビクトリア公園で、社工復興運動の面々が抗議のため特別な服装をしている。逃亡犯条例の改正案が通れば自分たちソーシャルワーカーは自由が奪われ、望まずとも体制側の機関として、社会の「変革」ではなく、「安定」のために働くことになってしまう。

香港市民は2014年に雨傘運動で民主主義のために闘いましたが、敗北しました。 民主派は、その後ほぼすべての戦いに負け続け、市民社会は分裂、活発さを失いしました。現在私たちは、逃亡犯条例の反対運動を通じて、自由のために闘っています。多くの市民社会組織がこの運動に携わっています。例えば私が属している社工復興運動という団体は、労働組合と連携して、ソーシャルワーカーのストライキを組織して、逮捕された抗議者を支援するソーシャルワーカーのチームを結成したり、ケガをした抗議者に病院まで付き添い、精神的、法的な支援を行っています。

今回どこまで行けるか私たちはわかりませんが、香港の市民社会は2014年の雨傘運動と2016年の旺角衝突事件の教訓から学びました。私たちは、より成熟し、回復力をつけ、戦略的で団結しています。年輩者たちは、若者たちの香港というまちに対する愛情と情熱に心動かされています。私も含め、複数の人たちは打ち明けます。これまでに私たちがまちを守るために十分に行動していたならば、現在若者が戦いの最前線に立ち、自身を危険にさらす必要はなかったはずだと。私たちはこれからも、私たちのまち香港と若い世代のために団結して戦い続けていきます。香港には、よりふさわしい価値がある、という強い信念をもっているのです。

香港に天の恵みがあらんことを!

社工復興運動のFacebookページ:https://www.facebook.com/rswmhk/

※訳注
1【逃亡犯条例改正案】 香港で身柄を拘束した刑事事件の容疑者に対し、中国本土への移送を可能にする法案。2019年4月に立法会で審議が開始されると、「1国2制度」の下で認められてきた香港の法的な独立性が損なわれるとして、法案の撤回を求める市民による大規模な抗議デモが起こった。これを受け、キャリー・ラム香港行政長官は同法案の審議停止を表明したが、6月25日現在、法案の完全撤回を求めてデモは継続。

2【雨傘運動】 2014年に起こった香港の民主化運動。香港行政長官選挙をめぐり、中国政府が民主派の立候補者を実質的に排除する選挙方法を決定したことに抗議し、市民による大規模な抗議デモと繁華街の占拠が行われた。運動の名称は、デモ隊を排除するために警察が使用した催涙弾や催涙スプレーに市民が雨傘をさして対抗したことに由来する。

3【本土派】 香港を自分達の「本土」と見なし、香港の主体性と文化に重きを置くグループ。

4【香港立法会】 中華人民共和国香港特別行政区の立法機関。正式名称は香港特別行政区立法会。

5【旺角(モンコック)衝突事件】 2016年2月8日夜から翌未明にかけ、香港の繁華街・旺角で、当局による無認可屋台の取り締まりを発端に起こったデモ隊と警官隊の衝突事件。警察の威嚇射撃や一部市民の暴徒化により衝突が激化、多くのけが人と逮捕者を出した。