<取材・執筆>小沼 敏之 <イベント>能登半島地震支援学生ボランティア報告会(主催:災害福祉学生活動支援ネットワークSAITAMA)
2024年6月23日、埼玉県防災学習センターそなーえ(埼玉県鴻巣市)にて、能登半島地震のボランティア活動の報告会が開催されました。防災学習センターは地震や火災などの災害を疑似体験できる施設です。
報告会の参加者は48名で、老若男女問わず、幅広い世代の方々が参加していました。
活動の報告を行ったのは、立正大学、聖学院大学、埼玉県立大学の3つの大学の学生たちです。
報告会は、主催している災害福祉学生活動支援ネットワークSAITAMAの新井利民代表(立正大学教授)の挨拶から始まり、各大学の学生たちの被災地でのボランティア活動の報告と質疑応答という流れで進行しました。
新井代表からは、被災者支援は、物資の供給だけではなく、能登半島地震が起きた事実を風化させないことや、地震について語り継いでいくことも一つの支援であることが述べられました。
以下は、当日学生たちから報告された内容です。
災害ボランティアが見た被災した町の景色
地震は2024年の1月1日午後4時10分頃、石川県能登半島で発生しました。
主な被害としては、津波による浸水被害、家屋の倒壊、土砂災害が挙げられます。
地震発生から5カ月経過した時期の活動でしたが、これらの被害状況を多く目にしました。特に浸水被害を受けた家をボランティアで訪れた際は衝撃を受けました。外観は非常にきれいで壊れている様子はありませんでしたが、部屋の中に入ると畳が水を含み床が抜けそうになっていました。
二次災害として、火災や停電、ライフラインの寸断も発生していました。
現地の方々と話す機会が多く、当時の被災状況や災害の詳細について詳しく教えていただきました。特に驚いたのは、一部地域で感染症による二次災害が発生したという話でした。長期にわたる断水が続き衛生環境が悪化した結果、ウイルスが蔓延し感染症が広がったとのことでした。
被災地におけるライフライン
能登半島地震では、停電や断水などの被害が多く見られましたが、特に問題となったのは、断水が解消されたはずの地域でも水道が使用できない家庭が多くあったことです。水道の本管と引き込み管は公共設備なので、損傷があれば自治体が修理することになります。しかし、水道メーターから住宅の蛇口までの水道管が壊れている場合、それは私有財産にあたるため、各家庭で業者に依頼して修理しなければなりません。そのため、実際には、断水が解消されても使用できない家庭が存在していました。地元業者に修理依頼をしても、「自治体に問い合わせてほしい」と言われ、自治体の担当者に問い合わせをすると、「修理業者に直接依頼してほしい」と言われるという状況を聞きました。
現地では、どこまで自治体が担当し、どこから修理業者が担当するのかについての情報が行き届いておらず、また修理業者の予約も満杯になっており、なかなか来てもらえないという現状があるとのことでした。
災害ボランティアに頼れない人々
ボランティアとして関わった災害ボランティアセンターでは、未調査の地域を地図上で確認し、一軒一軒訪問するローラー作戦を実施しており、その活動に同行させていただきました。見落とされている地域では、災害ボランティアセンターの情報が行き渡っていないことが多々ありました。災害ボランティアセンターの情報が行き届いていない地域やSNSを利用していない高齢者へどのように情報を伝えるかが課題となっています。地道に災害ボランティアセンターの存在を知ってもらうことが重要です。
また、災害ボランティアセンターの存在を知っていても連絡をしない方もいます。ボランティアが訪問した家の方で、「自分の家の被害は他の家に比べて大したことない。自分の家より被害の大きい家はたくさんあるからそっちをやってあげて」と言われる方もいらっしゃいました。
思い出の品物はゴミか?
ある光景に、衝撃を受けました。それは、被災者が浸水によって砂で汚れた家族写真やアルバムを「ゴミ」と言って捨てる光景でした。終わらない家の掃除、水浸しになった畳の片付けによる疲れから、思い出の品物を「ゴミ」という言葉で表現してしまったのかもしれません。被災した方と真剣に向き合い、感情を整理することもボランティアの重要な役割ではないかと思いました。
被災した高齢女性のお話
高齢の女性のお宅を訪問した際、女性は能登の将来について、近隣の人々が地震により町を離れてしまうのではないか、と不安を言葉にされていました。
地元が大好きなので、地域での繋がりや文化が消えていくことは、何としても避けたいと述べられました。
人間関係や文化が消え去ってしまうと、物質的なものだけでなく、人々の思い出も消えていってしまうのではないかと思いました。そのため、何らかの方法で地域との繋がりを維持し、その文化を引き継いでいく仕組みが重要であると感じました。
被災地でのボランティア活動の不安について
次の地震の時などにいつ倒れるかわからない建物には黄色い紙の注意書きがあり、その注意書きを見るとたしかに怖かったです。
宿泊先は比較的安全とされている場所ではありましたが、寝ている最中、もしまた地震が起きたら自分たちもつぶされてしまうかもしれないという不安が常に存在していました。しかし、被災した方々への助けになりたいという思いから、活動を続けました。
学生ボランティアによる活動報告のあとには、「今後の被災地との関わり」「次の災害にどう備えるか」「ボランティアのハードルの下げ方」等、学生の問題意識をもとに参加者と一緒に話し合うグループワークが行われました。
報告会の実行委員の感想より
防災や災害支援に関心を持ち、自発的に行動する人がここまで集まったことが嬉しかったです。私たち実行委員もこの報告会を通して、自身の経験を言葉にすることで昇華できたのではないかと思います。グループワークは参加者と双方向の関わりを持つことができ、年齢や所属も多様なメンバーと意見交換ができる貴重な機会でした。参加してくださった方々のボランティアに対するハードルを少しでも下げることができたのであれば、嬉しいです。
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今回の活動報告会に参加し、半壊した家や地盤沈下した建物の写真を見て、地震が起きてから半年経過しているとは思えませんでした。地震が起きてから1週間後くらいの状態に私は感じました。復興までの道のりの長さを感じました。また、復興支援には行政との連携が必要で、しかしその連携はなかなかむずかしいのだという印象を持ちました。
それでも、多くの方々が災害ボランティアとして、被災した方々の支えとなるべく日々活動しています。毎日、さまざまなニュースが報じられ、私たちも日々の生活に追われてしまいますが、被災地と被災された方々とそれを支えようと奮闘されている方々のことを忘れてはならないと感じています。
今回報告会に関わった3大学の学生たちは、8~9月の夏休み期間を利用して、引き続き現地での活動を継続しています。