「みんなで守ろう!日本の希少生物種と自然環境」というミッションのもとに行われてきたSAVE JAPANプロジェクトだが、埼玉県ではあと残り1回の実施となった。2011年から続く、このプロジェクトに対しては「インパクトレポート」も作成されており、SROI評価で貨幣換算も行われている。来年度がプロジェクトの最終年度となる。
さいたまNPOセンターは「協働で事業を実施する“Bコース”」枠に2017年、2018年度と応募して採択となった。2017年度はかつて久米宏のニュースステーションの「ほうれんそうにダイオキシン」報道で有名になった埼玉県の「くぬぎ山」、そして2018年度は来年5月に元荒川河岸(さいたま市岩槻区)で行われる希少生物の観察会でこのプロジェクトを終了することになる。
このプロジェクトが大好きだった私としては、すべてが終了してから総括すべきと思うが、その一つ手前でなんだかもの言いたくなった。
この11月17日に行われた同プロジェクトでの話である。
私たちは「Bコース」で応募したいので、「異業種のパートナー」を探していた。日本NPOセンター(同プロジェクトの事務局)の担当者には「イベントを協働で行うだけでなく、終了後もその協働の相手となんらかの活動ができること」などが条件であるといわれていた。正直「そんなのやってみなきゃわからないじゃないの」と思ったが、一つ心あたりがあった。
実施団体である「元荒川をきれいにする会」は毎月1回、河岸の清掃を定例としているが、その清掃活動に新和建設さんという護岸工事を行っている会社が参加しているという。
その会社を訪ねて、このプロジェクトに参加してくれるように依頼に行った。社屋はさいたま市見沼区で岩槻区と離れている。しかし、二つ返事で引き受けてくれた。条件らしきものがあるとしたら、自分たちの社屋の近くにある小学校にもSAVE JAPANのチラシを入れてくれ、とのことだけだった。
現地の下見や打ち合わせにも社長さん自ら来てくださった。一緒に元荒川の河岸を歩いた。末田の堰(せき)では耐震工事の大工事がなされていて、その関係で堰を流れ落ちる水はまるで滝のようである。「つきのき広場」というトイレ完備の広場もあり、近くには歴史ある第六天神社があり、おまけに絶滅危惧種の「キタミソウ」も自生している。この光景になじみのない私にはちょっとした観光地である。さいたま市内でこういう光景が見られるのを知っている人は近所の人だけ、ではないだろうか。
社長さんは「うちみたいな小さな会社は(多自然型堤防など)ここの工事はなかなかやらせてもらえないんですけれどね」という。
「それじゃあ、なぜここで清掃活動を」という質問がでかかったが、強心臓の私も質問できなかった。その日は3人の社員を派遣してくれて、多自然型護岸がなされているあたりで、パネルを示してこどもたちに堤防について話をしてくれるという打ち合わせになった。
しかし、休日というのに当日は清潔な作業服に身を包んだ社員さんと社長さん、あわせて4人が参加して、4つに分かれた観察班に1人づつ随行して、多自然型堤防について解説をしてくれた。4班になると知って社員さんを1人増やしてくれたのだった。
この日の気温は20度で、当センターの仕掛人の狙い通り、3日前の下見の時には咲いていなかったのに、キタミソウが奇跡的に咲いていた。その小さな小さな花を子どもの眼は大人より早く見つけた。そして昆虫採集も無理と思われたが、昆虫は20度になると草むらから出てくると聞いた。トノサマバッタもハラビロカマキリも登場してくれた。子どもたちが喜んだのはいうまでもない。
イベントの最後の挨拶は社長さんに頼んだ。社長さんの挨拶は環境の話ではなかった。
「今、屋外で働く人が減っています。私たちのような建設業にはなかなか人が集まりません。小学生の皆さんには将来、堤防をつくったりする屋外の仕事に関心をもってもらって、働いてもらいたいです」。
秋空の下、私にとっては思いもかけない言葉だった。「治水・利水・環境」をキーワードに日本の河川はコントロールされている。その現場に働く日本人がいなくなってもいいのか。足りないから外国の人に働いてもらえ、でいいのか。
そう問われているような気がした。「協働」とはこれまで自分の気づかなかったことを教えてくれるもの、と改めて思った。
「Bコース(協働で事業を実施する)」がなければこの社長さんに出会うこともなかっただろう。SAVE JAPANプロジェクトの設計を練ってくださった方々に感謝している。