2か月ほど前から「ある問題」の当事者になった。「ある問題」については、一定の理解をしているつもりだったが、当事者になると初めて見える景色がある。そしてそれはそのまま、社会の側もなんかおかしいんじゃないか、という違和感にもつながってきた。

「抱えている問題を解決せよという社会からの有言無言の圧力」

自分の状態が問題だと思われること自体が当事者にとっては課題。解決策ありきで、まず当事者がどうしたいと思っているか聞く人はほとんどいない。

「一般にこうあるべきという固定概念が強く狭く、それ以外の選択肢がとても少ない」

欧米では法の縛りも緩く、選択肢がもっとあるらしい。日本では費用負担も含めてほとんど自分でなんとかしないといけない。要は多様な人がいることが想定されていない。ぼんやりしていると、配慮という名のもとに排除されそうになることもある。

考えてみれば、障がい者やLGBT、高齢者など、マイノリティや社会的弱者と言われる人たちが長年訴えていることとほぼ同じだった。

「解決策は、マジョリティと同じになることではない」

当事者の話を聞く。人として尊重する、その状態や本人の選択を承認する。答えを出そうとするのではなくそんな気持ちで接すること、それがそもそも大事だと考えるようになった。

その上で、どんな配慮が必要かを考え、論議する過程で、広く社会に問題意識を共有していけたら理想的だ。

そのために、これから自分の生活圏で当事者のコミュニティを始めてみようと思っている。マイノリティとして歩んでいくことへの応援、大歓迎です!!!

(日本NPOセンターメールマガジンより転載)

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