復興後の東北の地域社会に、NPO・市民活動団体がどう関わっていけばよいのか・いくべきかという文脈で、「地域の作り方~被災地の未来を見据え、そのあるべき姿を考える~」というお題をいただいた。
私の暮らす東北地方でも、長い歴史の積み重ねを背景とし、地域社会に関わる担い手は、時代によってその役割を変えながらも、多様かつ重層的であり続けてきている。
例えば、近代自治体制度ができる前から集落単位の相互扶助機能を担ってきた「契約講」という組織がある。集落内に家を構える世帯により構成され、長子相伝により維持されてきた契約講は、集落内の懇親行事や伝統行事・伝統芸能を担ったり、結婚式や葬儀等を共同で行ったり、集落に属する入会山や漁場から得られる収益等を原資とした共有財産を管理して、集会所のような共有施設の整備や、災害を受けた構成員への見舞金を支出する、といった機能を維持してきた。
加えて、戦前~戦後の生活改善運動を基盤として生まれた共同炊事・農産物加工場・直売所や生活学校の活動、戦前に岩手県奥州市水沢区で産声を上げ戦後本格的に設置が進んだ公民館を場とした活動、青年会や婦人会といった地域団体の活動、公衆衛生の向上を目指した保健師の地区活動や福祉の視点からの民生委員・児童委員による活動等など。これらの多様な活動の蓄積が、普段は地域に溶け込み目立たなくなっていても、災害等の非常時には大きな力~レジリエンス~を発揮して地域を支える。東日本大震災後、被災した多くの地域でこのような動きを目にすることができた。
こういった地域を支える役割の一部を、この20年程で新しく生まれてきたNPO・市民活動団体も担うようになってきている。だが、団体のミッションやターゲットとする課題に特化することで、公益と共益・私益が複雑に入り混じった地域社会全体を見つめる視点が欠けてしまったり、上述のような地域の歴史や長く持続してきた既存の枠組みへの配慮が足りなくなったりしてしまうことで、摩擦が生まれてしまうことも少なくない。
さらに、一部の「古典的」中間支援組織の中には、「NPOは公益、コミュニティは共益。私たちが支援するのはNPOだけ」といった極端なNPO原理主義・教条主義をいまだに展開しているところもある。どんなすばらしい活動をしているNPO・市民活動団体であっても、その地域の背景を無視しては活動できない。支援側にも、さらに一歩引いた客観的な視野が求められるし、それができないのであれば、無用の長物となろう。
筆がすべりすぎた。NPO・市民活動団体に対して、地域から期待されている役割はない、と言いたいわけではないのであった。閑話休題。
社会が緩慢な衰退に向かう中で鎌首をもたげてきた、行き過ぎた個人主義・他者への無関心や、公共の役割を否定しかねないレベルまで社会を侵食している自己責任論を背景として、地域の中で一部の少数の方が抱えている特別な問題を、地域全体の課題として発見・共有し、地域社会全体として解決に向けて取り組んでいくことは、今後ますます困難さを増していく。既存の地域組織が無意識的に内包している排除性から、既存の枠組みにはその解決を期待できない場面も多々あるだろう。
NPO・市民活動団体には、このように地域に埋もれた、あるいは地域社会から(意図的に)見逃された問題をこまめに発掘し、それを自ら解決するだけではなく、地域に問題を投げかけて共有し、地域の課題として地域全体で解決していく枠組みを作っていくことが期待されていくのではないか。そういった場づくりの機能を果たしていくためには、個々のNPO・市民活動団体や中間支援組織と呼ばれる団体は、どのような能力を身に着け、どういう役回りを演じていけばよいのか。
という議論を、11月27日(水)午後、岩手県陸前高田市内で開催される「とうほくNPOフォーラムin陸前高田2019」の中で行う。復興創生期間終了まであと1年4ヶ月余り。東北の復興の先を見据えて地域の未来を考える絶好の機会となる。ぜひ岩手に足を運び、ご参加いただきたい。
とうほくNPOフォーラムin陸前高田2019
(参加申し込みも以下のページから)