<取材・執筆>時盛 郁子 <取材先>特定非営利活動法人桜ライン311 代表理事 岡本 翔馬さん
岩手県・陸前高田市。この街に、2011年11月から桜を植え続けている人たちがいる。これまでに植えた桜は、1947本。その1本1本は、こんな思いをもとに植えられたものだ。
「私たちは、悔しいんです。」
忘れ去られていた津波の教訓
最大震度7の揺れと沿岸部を襲った津波によって、甚大な被害をもたらした東日本大震災。あまりに広域に及んだ大きな被害は「未曾有」とも表現されるが、三陸沿岸地域には貞観11(869)年以降、約1200年のうちに17回もの津波が押し寄せたという記録が残っている。また、津波被害の内容や教訓は、東北三県(青森・岩手・宮城)で300基以上の「石碑」によっても遺されていた。
「石碑は曾祖母の家のすぐ近くにもあって、家に行くときには必ず目の前を通っていました。それなのに、意識してこなかったんです」
桜ライン311の代表理事・岡本翔馬さんにとっても、石碑は実は身近なところにあるものだった。しかし、石碑の存在や教訓は平穏な日常の中で忘れ去られてしまい、東日本大震災では多くの人が亡くなった。大きな津波の可能性や防潮堤の限界が広く知らされていれば、津波によって奪われた命はもっと少なかったのではないか。悔しさに苛まれた。
次世代の命を守る「桜ライン」
そんな悔しさを胸に集まったメンバーが、桜ライン311を立ち上げた。活動の内容は、陸前高田市内の東日本大震災における津波最大到達地点に桜を植え、距離にして約170kmの「桜ライン」をつくり出すというものだ。もしまた津波が来たら、この桜よりも上に逃げて欲しい、という気持ちを込めて。
「石ではない自然のもの、多くの人たちが愛したいと思うもので震災を語り継ぐことができればと思ったんです。咲いてあでやかなのはもちろん、散る姿が儚いのも人の死生観と重なる部分がありました」と岡本さんは言う。
どんな状況でも、春が来れば桜は咲く。年一度必ず目立つ桜は、人々の記憶を呼び起こすという点でも、震災を語り継ぐ存在にふさわしいと考えたそうだ。
地域と支援者のつながり
岡本さんは、災害の伝承には3つのポイントがあると語る。
「1つ目は地域に根差していること、2つ目は地域以外のあらゆる人が関われること。3つ目は、地域の人も外の人もずっと残していきたいと思えるものであることです」
桜ライン311では毎年春と秋に参加者を募って植樹会を行っているが、驚くことに、そのほとんどが県外からのボランティアだという。
桜を植えるボランティアと土地を提供する地権者の間には、新たなつながりが生まれることもあるそうだ。
以前、ある地権者の女性から桜ライン311に一本の電話があった。「自宅を再建するため、敷地内に植えた桜を整地が終わるまで預かってほしい」。植樹された桜を、地権者の都合などで一時的に抜いて保管用の場所で預かることは決して珍しくない。しかし、彼女のある依頼が岡本さんたちを驚かせた。
「10本ほどの桜の木をもとに戻すときに『順番を変えないで欲しい』と言われました。そう言われることはなかなか無いので理由を聞くと『植樹したボランティアの方が定期的に見に来るからだ』と。左から2番目が僕らの木、みたいになっているんですね。聞いたとき、あぁ、桜が愛されているなと思いました」
桜を植える場所は津波の最大到達地点であり、何らかの被害が出ている場所も多い。彼女も、東日本大震災で家族を失っていた。
「『私は生き残ってよかった、と思える瞬間はほぼない。それでも、私のことを気にかけて連絡をくれる人や、会いに来てくれる人がいるから、明日もちゃんと生きないと、と思う。だから、そんなつながりを作ってくれた桜ライン311には感謝している』と、その女性に言われました」
桜ライン311の活動は、次世代に震災を伝えることを目的にスタートした。しかし、地道に桜を植え、ゴールに向かって一歩一歩進んでいくうちに生まれていたのは「人のつながり」。活動を開始したときには想像もしていなかった力に気づかされ、岡本さんは「頭を殴られたほどの」衝撃を受けたという。
また、桜ライン311では、ボランティアや寄付者などの支援者とスタッフの交流が生まれる機会を積極的に作り出している。植樹会のあとに交流会を行うほか、SNSでも積極的にスタッフの様子を投稿。寄付に対する領収書には岡本さんが必ず直筆でメッセージを添え、支援者が「桜ライン311」と「自分」という1対1のコミュニケーションを感じられるよう努めているという。
「支援者にとっては、僕たちがまず『地域』。桜ライン311とのつながりを感じてもらえるような組織運営を心掛けています」
「桜ライン」植樹完了を目指して
植樹の目標1万7000本に対して、現在植えられている桜は1947本。割合にすると約12%だ。岡本さんたちは、「桜ライン」の植樹完了までにあと20年がかかると見込んでいる。また、桜はとても繊細な樹木のため、植えた後も丁寧な管理が必要だ。病虫害が出ていないか、生育状況は順調か。細かく確認しながら、施肥、下草刈り、剪定といった作業も行う。
「植樹には、地権者との交渉を中心とした『植える前の力』と、さまざまな管理を行う『植えた後の力』が必要です。手はかかりますが、それゆえ人の思いが乗せられるとも思います」
震災の痕跡を示し、次世代の命を守る印となるのは桜だ。しかし、その桜を植え、守り継いでいくのは「人」にほかならない。
「活動が人と人を繋げる仕組みでありたい、桜ラインを地域の宝にしてもらいたいと思っています」
今は津波のイメージが強い陸前高田の街が将来、日本有数の桜の街になる。そのとき「どうしてこんなに桜があるのか」という疑問をきっかけに、ひとりでも多くの人が自然災害について考える時間を持ってくれるといい。岡本さんたちは、復興の先にある「まちづくり」と「災害で人が亡くならない社会」を見据えている。
<参考>
・特定非営利活動法人桜ライン311
https://www.sakura-line311.org/
・国土交通省 津波史跡調査概要
http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/gaiyou.pdf