官房長官や名古屋市長、大阪府知事、大阪市長といった政治家から、一般市民までもが加わった圧力、抗議、脅迫により、8月3日に中止に追い込まれるという事態に至った、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」中止問題。悪質な脅迫ファクスを送付した人物は既に逮捕されましたが、連日、展示や関係者をターゲットとした圧力を含む発言が政治家やメディア出演者から続くなど、この問題について冷静に議論し、対応しようとするには程遠い社会状況です。

今回の問題は、当初から「表現の自由」への侵害であることは指摘されていましたが、私たち市民社会(NGO、NPO)の立場からは、広く市民社会の言論・活動に関わる「市民社会スペース」の危機として捉えることが重要です。今回、私がコーディネーターを務める、全国の国際協力分野のネットワークNGO7団体で構成する「市民社会スペースNGOアクションネットワーク(以下、NANCiS)」では8月5日に「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」中止と日本の市民社会スペース狭隘化を憂慮する(声明)」と題した声明(*1)を発表しました。

読者の中には、「市民社会スペース」という言葉を聞き慣れない方もおられると思います。簡単に言えば、市民や市民社会が自由に言論、表現、活動、結社できる社会的なスペースの広がり、柔軟度、許容度を指す、近年国際的に広まってきた用語・概念(*2)です。私たちが、日本国憲法や国際的な人権規範・基準で保障されている「はず」の諸権利が、社会の中で実質的に実現されているかをみる、一つのバロメーター(*3)といえるでしょう。

今回の問題を市民社会スペースの観点からみると、政治家・公職者が権力を背景に中止を求める発言を行ったことはもちろん、不特定の一般市民までもが開催に圧力を加え、差別、暴力を扇動するような言論をネット上中心に展開し、実際に主催者に脅迫を加える事態に至ったことは深刻です。言うなれば、市民社会スペースの広がりによって言論・活動の自由を享受し、あまつさえ政治的機会を得た人々が、手のひらを返して、意見の違う人々の表現機会、鑑賞機会、表現や鑑賞を通じて対話を深める機会を権力的・暴力的に奪い、市民社会スペースを狭める手助けをしてしまったことになるからです。

また、一部の政治家やメディア出演者が、一見中立を装いながら「表現の自由」を相対化し、展示に反対する人々の言論や主張を守るべきであるとか、ヘイト的な発言すらも擁護されるべきであると主張する事例も散見されますが、これらの意見もまた、日本国憲法などの国内法規や、世界人権宣言や国際人権規約、人種差別撤廃条約など、国際的に認められた人権規範・基準からみても逸脱した考え方で、市民社会スペースへの圧迫に加担するものです。
(関連する国際的な人権規範・基準としては、1)芸術を含めた表現の自由、干渉されることなく意見を持つ権利(世界人権宣言19条、自由権規約(B規約)19条)、 2)差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道の法律での禁止(自由権規約(B規約)20条2項)、3)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めない(人種差別撤廃条約2条以下、特に4条C項)など。)(*4)

今回の問題が今後どのように推移するか、奪われた表現・鑑賞・対話の機会が回復されるどうか、予断を許さない状況ですが、あいちトリエンナーレ2019実行委員会会長を務める愛知県の大村秀章知事が、8月5日の記者会見で「税金を使っているから(やっていいことの)範囲が限られるというのが最近の論調だが、全く逆ではないか」「公権力こそ表現の自由を守るべき」(*5)と述べたことは、この状況の中では勇気ある意志表明だと思います。日本の市民社会スペースはいま、狭隘化に進んでいくかどうかの正念場に立っています。市民社会を構成する一人ひとりがしっかりと「現場」に立ちながら、委縮せず、孤立せず、連帯しながら言うべきことを言い続ける、そのような取り組みを互いに励まし合いながら進めていきたいと思います。

*1.NANCiS「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」中止と日本の市民社会スペース狭隘化を憂慮する(声明)」
http://nancis.org/2019/08/05/001/

*2.市民社会スペースのわかりやすい説明や国際的な流れについては、国際協力NGOセンター(JANIC)のウェブマガジン『シナジー』の以下記事が詳しい。
https://www.janic.org/synergy/2017/10/civicspace_01

*3.世界の市民社会組織のネットワーク「CIVICUS」では、世界の市民社会スペースの状況を視覚的にモニターできる「CIVICUS MONITOR」を設けている。
https://monitor.civicus.org/

*4.世界の市民社会が市民社会スペースの枠組みを規定した「市民憲章(The Civic Charter)」に詳しい。以下、国際協力NGOセンター(JANIC)ウェブサイトを参照。
https://www.janic.org/blog/2019/07/17/civiccharter_japanese/

*5.東京新聞2019年8月5日付夕刊(2019年8月9日閲覧)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080502000257.html

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