<取材・執筆>小澤 佳奈 <取材先>NPO法人日本障害者協議会 代表 藤井 克徳さん
2021年、国際障害者年から40年が経過する。その間には、やまゆり事件や優生保護法被害など、障害のある人が対象となった痛ましい事件が起こった。NPO法人日本障害者協議会代表の藤井克徳さんは、1月に開いたオンラインセミナーで事実を正確に知ることの大切さについて語った。
この40年間、障害者の権利はどこまで保障されたのか。藤井さんはセミナーで「命に優劣をつける『優生思想』が生んだ被害の事実を知ることが大切だ」と言う。また、「一人ひとりが気づく力を付けることによって、人権の保障される社会へと繋がっていく」と語った。
「優生保護法の優生思想が、今に伝わって来てしまった」
1976年、国連総会は障害者の社会生活の保障と社会参加の推進を目指し、積極的に行動する年として1981年を「国際障害者年」と宣言した。この宣言を受けて日本では、公共交通機関の改善や、所得保障対策など障害者のための様々な計画が実行されていった。国際障害者年は、障害者の権利が保障される社会への大きな節目となった。
障害者を取り巻く環境は、社会情勢や歴史的な事件、それに対する政策や運動を重ねて変化を遂げてきた。現在も障害者に対する人権侵害となった事件の爪痕が残っている。その一つが1948年から1996年まで施行されていた優生保護法だ。
優生保護法は、母体を保護する観点から中絶を合法化した法律であるとともに、障害者に対する強制的な不妊手術が認められたものであった。この優生保護法による強制不妊手術を受けた被害者数は、約2万5000人にもなると言われている。この法律によって多くの障害者が犠牲となり、現在も被害を引きずっている。
優生保護法の第一条には「優性上の見地から、不良な子孫を防止する」と書かれている。
「不良な子孫」とは障害者のことを意味していた。藤井さんは「優生保護法が生まれた背景に『優生思想』がある。この法律は日本に優生思想の種を沢山撒いてしまった」と語る。
そして2016年、障害者施設で入居者ら45人が殺傷された事件が起こった。犯人は「障害者は不幸を生む」と、優生思想を思わせる考えを持っていた。当時26歳であった犯人が持っていた優生思想はどこから生まれたのか。
藤井さんは「優生保護法の優生思想が、今に伝わって来てしまったのではないか」と指摘する。命に優劣を付けて選別する優性思想は、歴史的に多くの犠牲を生んできた。
「私の体を元に戻して欲しい」
聴覚障害のある小林寶ニ(たかじ)さん・喜美子さん夫妻は優生保護法被害訴訟の原告者であり、被害を受けた辛い体験をセミナーの中で語ってくれた。
小林さん夫妻は1960年の5月に結婚した。それから数ヶ月後、喜美子さんの妊娠が分かった。とても喜んで、「これから2人で頑張って育てていこうね」と話をしていた。ところが、その次の日、母親に連れられて実家に戻ることになった。そして、喜美子さんは病院へ連れられて、何の説明もなしに不妊手術を受けさせられた。当時の喜美子さんは、自分が不妊手術を受けたことを知らなかった。それを知ったのは今から3年程前だったという。
喜美子さんは子どものいる楽しい人生を望んでいた。「私の体を元に戻して欲しいと思います。私に謝ってほしいです」と訴えた。
人権が保障される社会を作っていくには
藤井さんは「障害者の人権が保障される社会の為に、当事者と接することも大切だ」という。当事者から直接話を聞いて現状を知る。では、その上で私たちは何をすればいいのか。人権が保障される社会を作っていくにあたって、私たち一人ひとりの行動が問われてくる。
藤井さんは、「優生保護法など色々なことに気づく力が足りなかったことで、見逃した問題もある。ちゃんと気づいていればと悔やまれる」と語り、個人が出来ることについて、メッセージを残した。
「問題に気づく力を付けるためには、まず、沢山のことを正確に知ることが求められる。知ったことを深めていくという作業は分かることに繋がる。そして分かることが、気づく力・伝える力・動く力の源となってくる」。
障害者の人権が保障される社会に向けて、個人個人が気づく力をつけていくことが大切だ。そして気づく力を付けるためには、正しい情報に触れて、普段から考える姿勢を持つことが求められている。