7月末のある夜、ニュースを何気なく見ていたときに、メインキャスターが発した「普通の市民」という言葉が妙に気にかかった。反射的に「普通の市民?!」と反復していた。内容は、「脱原発」「原発再稼働反対」を主張する人々が数か月前から毎週金曜日に首相官邸前で抗議デモをしていて、参加者が毎週増えていること、その多くが「普通の市民」であるというものであった。「普通の市民」とは、会社帰りのOLやサラリーマン、学生、赤ちゃん連れのお母さん、家族連れ、友達同士できている中・高校生らしき人等々、およそこれまで「デモ」というものとは関係のなさそうな人々を指していると理解した。クローズアップ現代」(7月26日、NHK)は「デモは社会を変えるか」と題して、「普通の市民」の動きを伝えていた。番組の中で、デモ参加者の女性は「昔の重々しい感じではなくて、普通の人でも気軽に行けそうな感じ、参加できるような感じ」と語る。彼女の言う「昔」のデモを象徴するのは日米安保闘争や公害反対運動だろう。「普通でない市民」(全学連?プロ市民?当事者?)による、重々しく、過激なもので、「普通の市民」にとってはちょっと行ってみるものではなかったということなのだろう。

1970年代前半、「普通の中学生」だった「私」を見つめてみたい。世の中、本当に政治的に熱い季節だった。後に三無主義あるいは四無主義(無気力、無関心、無責任、無感動)と揶揄されることになる中・高校生の中には大学の紛争の影響を受けて、安保闘争のデモに参加する者もいた。そして全国の中学・高校で沸き起こった最も身近な「闘争」は「丸刈り強制校則の廃止」と「制服の廃止・自由化」を求めるものであった。「私」が通っていた山梨県の小さな中学校も例外ではなく、生徒会役員選挙の争点が校則の見直しだった。全校集会を開き、生徒同士はもちろんのこと、教員と対話し、白熱した議論を闘わせた。そもそも髪型は、着る服は誰が決めるのか。いずれも誰かに強制されるものではなく、一人ひとりが自己決定するものであること、選択する自由は当事者にある等々。鍵言葉は、尾崎豊の「15の夜」の歌詞ではないが、「自由」・「抑圧からの解放」だった。「この校則なんか変!」と漠然とみんなが思っていたことが、「ある何か」をきっかけに「問題」として可視化され、その問題をみんなで共有されたとき、「普通」の生徒は「普通」の生徒ではなくなり、「私」から「私たち」へと問題の解決に向けて、意識を変え、動き出したのではないか。「普通でない生徒」に変身した「私たち」は、「丸刈り強制校則」を廃止することに成功した。制服は、記憶が定かではないが「標準服」という名目になったような気がする。そう、「私」は科学特別捜査隊のハヤタ隊員のように変身したのかもしれない。もちろんウルトラマンのように超人的能力はない。でも変身した「私」が集まれば結構な力にはなるものだ。その後「私」はハヤタ隊員に戻り、40数年が過ぎた。

話題の書『社会を変えるには』(小熊英二、講談社現代新書2012)の中で、小熊氏は次のように述べている。「いつの時代も、人々は漠然とした不安や不満を抱えていますが、たいていはそれが明確な形になっていません。そうした漠然としたもの、もやもやしたもの、目に見えないものが、目に見える具体的な形としてこの世に現れてきたとき、人々は『これが問題だったのだ』『これを変えれば社会が変わるのだ』とみなして行動に立ち上がります。」(p441)。今、また変身する「普通の市民」が、社会を変えようとしている。

昨年、函館市内で青森・大間原発建設反対のデモに遭遇した。「大間原発大間違い、大間違いったら、大間違い」のシュプレヒコールに思わず笑い、いつの間にか「私」は行進の中にいた。