「この国でアートNPOをやるのは、もはやギャンブルですよ」と、このごろ自嘲気味に語っているのは、コンテンポラリー・ダンスの分野でNPOを主宰するSさんだ。聞けば経営はかなり厳しい状況だという。

Sさんは20年ほど前、日本にまだなじみの薄いダンス芸術を社会に根付かせることを目指して団体を設立した。以来ずっと第一線で活躍、その団体は日本を代表するアートNPOになった。なにしろ設立したのはアートNPOなどという言葉さえなかったころからだから、文字通りのフロントランナーであり、この分野にとっては大功労者でもある。そのSさんにしてこれだから、アートNPO業界の苦境は推して知るべしといえる。

もともとアートNPOには、「芸術分野で活動する非営利組織」という以上の明確な定義があるわけではない。ただ、劇団やオーケストラのような実演団体や、一定の規模をもった美術館・劇場などは、あまりアートNPOとは呼ばれないことが多い。むしろSさんのやっているような中間支援型の組織や、プロデュース団体、ネットワーク型組織、小規模なオルタナティブスペースなどを運営する団体などが主体といえるだろう。

こうした団体は、どうしても公的な補助金(形は事業委託の場合もあるが、ここでは補助金に含める)や、民間の助成金に頼るところが大きくなる。もとより事業収入は微々たるものだ(たいていミッションに沿おうとすればするほど少なくなる)し、一般からの寄付や会費も集めにくいからだ。社会の“縁の下の力持ち”的存在で、一般市民に存在をアピールできる機会が少ない中間支援型組織の場合、とりわけその傾向が強い。

本来こうした団体にこそ公的な支援を手厚くしたいところだが、あいにく日本の文化政策には、アートNPOの経営を安定化させねばという差し迫った問題意識はみえない。ただ、やっている事業は良いから、個々の事業にはその都度お金をつけようということになる。そしてこの「その都度」という部分こそが、冒頭のS氏の言葉「ギャンブル」につながるところにほかならない。

受給する側にとって補助金や助成金は、気まぐれで何の保証もない代物だ。確かに一部の老舗有力団体は毎年安定的に受給しているが、それはごく一部であって、大半の申請者は、申請後どちらに転ぶとも知れない不安定な時を過ごすことになる。それも事業の準備に着手しつつ、である。

S氏の話を聞くと、なかでもとくに罪なのは、行政の担当官が申請に至る途中段階で期待を持たせるような発言や対応をしてしまうことだと感じる。公的な補助金のほとんどは“外部有識者”によって組成された委員会で採否が決まり、原則として担当官には裁量権がない。そしてこの委員会においては、出席メンバーの顔ぶれによってはもちろん、その場のちょっとした議論の流れで結論が左右されてしまうことも少なくない(私自身何度も経験している)。だから不確実性はとても高い。

最初からあきらめ半分の場合と、気を持たされた挙句、最後ではしごを外される場合との、受けるダメージの差は、誰にも想像がつく。確かにこれではアートNPOの経営はギャンブルにならざるを得ない。S氏も憂うように、アートNPOの設立を目指す人も減るだろう。

実際アートNPO界のネットワーク組織である「アートNPOリンク」も、設立14年(NPO法人認証からは12年)を経て活動は縮小気味で、主力事業であった「アートNPOフォーラム」さえ、すでに3年前に終了してしまった。

ではこうした状況を一体どうすればよいのか? 助成財団セクターの弱い日本の場合、やはり国なり自治体なりが政策として、アートNPOの運営基盤を強くするような取り組みを行っていくしかないだろう。

もちろんこうした必要性はアート分野のNPOに限ったことではないだろうが、実はこの分野にはオリンピック・パラリンピックという千載一遇の機会があった。「オリパラは文化の祭典でもある」という認識から、東京都などでは期間限定で特別予算が計上されたのだ。しかしこれらの大半は、結局のところ一過性のイベントに流れて行ってしまっている。もちろんイベントにもそれなりの意義はあるだろうが、NPOの経営支援のような、セクターのインフラを構築する新たな取り組みは、予算が増加したタイミングでないとできない。アートNPO界、いやアート界は、全体の発展を考えるならこの時期を逃すべきではなかった。

…と、思わず過去形で書いてしまったが、せっかく様々な自治体でアーツカウンシル(芸術支援の専門組織)が立ち上がりつつあるのだから、今からでも遅くない。アートNPOの経営をギャンブルにしてしまわないために、なにかムーブメントを起こしていけないものだろうか?