「自然語」。ホールアース自然学校が大切にしている言葉です。今、このように私が書き記しているのは、言うなれば「人間語」。そして、何らかの「テクノロジー言語」が駆使され、この「人間語」はWEBサイトに掲載されていることになります。
では、「自然語」とは何なのでしょうか。ホールアース自然学校の創設者で、「自然語」という言葉を世の中に提示した広瀬敏通は、それを「自然と対話する感性」と表現しています。「イヌが尾を振っているから喜んでいるのかな」、「そろそろ雨が降りそうな雲行きだ」、「この岩壁は自分には登れそうもないぞ」、「ホトトギスが啼いたから田植えをしよう」、「この花、最近よく見かけるなぁ」等々、どれも「自然語」です。
元来、私たち人間はこうした「自然語」をもっと大切にしてきたと思うし、この先、平和で持続的な社会を実現させるために「自然語」は忘れ去られてはならないものだと考えています。ホールアース自然学校が「自然語」を培うこと(あるいは取り戻すこと)につながる体験プログラムを用意しているのはそのためです。
体験のフィールドが雄大な富士山であっても、都会の片隅の緑地であっても、プログラム参加者はそれぞれに「自然からのメッセージ」を持ち帰ってくれます。よく耳にするキーワードは「循環」、「感謝」、「畏敬」、「つながり」、「強さ・弱さ」等。ともに時間を過ごす私自身について言えば、以下のような感覚を抱くことが多いと自認しています。「多様性あふれる生命が、互いに生かし、生かされていること」、「声なき生命が行き場を無くし、知らぬ間に消え去る事実があること」。自然体験が豊富な方であれば、共感いただけるかと思います。
太古より連綿と受け継がれてきた自然生態系。その中に身を置き、自然と対話する感性(=自然語)を研ぎ澄ませた時間を積み重ねるうちに得られる感覚。少々大げさかもしれませんが、そこには持続可能な社会を構築する上でのたくさんのヒントが潜んでいると、私は直感しています。
あるべき社会の姿を皆で描く時、あるいは、立ちはだかる課題を前に成すべきことを考える時、「人間語」と「テクノロジー言語」がコミュニケーションの主役になることは疑いようもありません。ただ、私は「自然語」をあらゆるコミュニケーションの土台となる、いわば“共通言語”として持っていてほしいのです。それは「自然語」が具体的な「方法や行動」(doing)に直結するヒントを示してくれるということだけでなく、その場に向き合う上での「在り方」(being)にも深い気づきを与えてくれると思うからです。
そして、もし、「自然語」が鈍っているなと感じているのであれば、大自然の中に出掛けましょう。この文章(人間語)のような小難しいことは完全に忘れて…。