2018年は自然災害が多い年といってもいいでしょう。さらに今年の災害は今までにないほど被災範囲が広く、被害も大きいのが特徴といえるかもしれません。

災害が起きるとメディアは一斉に被害状況を伝えますが、そのなかで「物資が足りません」という報道があります。また、TwitterやFacebookなどのSNSなどは「物資が足りません」という情報が一気に増えます。

人は優しいので「被災地で物資が足りない」と思うと、『何とかしてあげたい』と思うわけです。そして、全国各地で足りないといわれる物資をかき集めて、被災地に送るという善意の支援が行われています。困っている人を助けたいというとても素敵なお話になるわけです。

ところが、実はその個人からの物資支援が「被災地を襲う第二の災害」と言われているのを知っていますか?もしかすると皆さんが良かれと思っている物資支援が、被災地で第二の災害を生んでいるかもしれません。

■物流問題:「物資が足りません」は物資不足ではない

西日本豪雨水害(2018年7月発生)では、道路が寸断され、電車も走れなくなり、さらに停電や断水などが起きました。台風21号水害(2018年9月発生)では空港が使えなくなり、北海道胆振地震(2018年9月発生)でも、北海道全域が停電となり交通機関もマヒしました。ほとんどの災害発生直後は、このような被害になり、道路は大渋滞になります。

想像してみてください。このような状況で物資がスムーズに輸送できるでしょうか?

日本の公共交通機関や宅配便は世界一時間に正確だといわれますが、災害発生直後はそうはいきません。平常時は時間通りに大量の物資が輸送され、私たちの生活はいつでもどこでもモノが手に入る環境ですが、災害が発生するとそれは夢物語になってしまうわけです。要するに「災害発生直後は、物資が不足しているのではなく、物流が滞ったため被災者に届いていない」というのが、災害発生直後に見聞きする「物資が足りません」の一つの姿になります。

一方で、被災者に物資が無いのは事実であり、困っている人がいるのだから、たとえ物流が滞っていても送ったほうがいいという方もいるでしょう。

通常であれば全国どこでも1~2日で到着する宅配便です。しかし、災害発生後は届くのに数日またはそれ以上かかる場合があります。さらに最近では、宅配業者も災害発生後しばらくは被災地への個人荷物の受付を中止する傾向があります。それは先述の「物流問題」があるからです。そうなるとその間に被災地の状況は変わっています。今、被災者の手元に届いていなくても、数時間後には届く可能性が非常に大きいというのが災害の特徴ともいえます。

■物資管理問題:個人物資の管理は膨大な労力が必要に

災害が起きれば公的支援・民間支援も含めて大量の物資が行き来します。倉庫業者や宅配業者ならこれらの大量の荷物を効率的に荷捌きし管理することができるでしょう。しかし、被災地で物資を受け入れるのは、基本的にはそのような業者ではなく被災者や役場職員です。

避難所は避難した被災者が中心に運営管理をしているので、基本的には大量の荷物を管理するノウハウや資器材はありません。市区町村役場も同様で、大量の荷物を管理するノウハウや資器材もなければ、保管する場所もないというのが現実です。さらに加えると役場職員の本来業務は総動員で被害の確認や住民サポートです。物資のために大量の職員や場所を準備することはできません。

基本的に企業などの物資は箱単位で出庫するので一つの箱に一種類しか入っていませんし、それなりの数量があるうえに新品です。ところが、個人からの支援物資のほとんどは大小さまざまな箱や袋に何種類の物資が入っていることがほとんどで、中には生鮮食品や賞味期限の切れた缶詰なども入っています。

想像していただければわかると思いますが、物流や倉庫管理のノウハウがない人が管理しやすいのは企業の物資でしょうか、それとも個人の物資でしょうか?

もちろん、企業の物資のほうが管理しやすいはずです。個人の物資の多くは、箱を開けないと何が入っているか分からない、開封しても種類もサイズもバラバラで数も少量しかはいっていない。それをスペースも限られたところでノウハウのない人が仕分けや管理するということは膨大な労力が必要になるだけではなく、きちんとした管理すらできない可能性が高くなります。

■SNSの甘い罠問題:被災地で過剰に余る物資

先述しましたが、災害発生後に被災者が個人のSNSなどを使って「物資が足りません」と流すことがあります。このことでいち早く物資が手に入り助かった事例も数多く聞くので「災害時のSNSはすごく良いツール」といわれています。人は優しいので「物資が足りない」という投稿をみると、それを広めるためにシェア(共有)をし、一気に全国、場合によっては海外にも広がり、多くの支援が集まることになります。

ところが「もう物資は充足しましたので、これ以上送らないでください。受付終了します、ありがとうございました」という投稿を同じ人が発信した場合はどうなるでしょうか。多くの人は「良かった、足りたんだ」という安心感をうけ「物資が足りない」という投稿に比べるとシェアをする人が圧倒的に少なくなります。「物資が足りない」という情報が1万人に届いたら、「物資が足りました」という情報は1千人に届くかどうかといっても過言ではないでしょう。と、なるとこの差の9千人は「物資が足りない」という情報だけをみて支援を行うことになります。

もうわかりますよね?

被災地では足りなかったものが過剰に余るという状況が起きるということです。私はこれを「SNSの甘い罠」と言っています。なので、私はいつもSNSでは物資足りない情報を個人ベースで安易に流さないほうがいいですよとお伝えをしています。

■断れない・イラナイ問題:善意の支援が被災地の経済を圧迫

被災地あるあるのひとつになりますが、個人の方が物資を車に積んで遠くから避難所にきたときに、たとえ持ってきていただいた物資がその避難所では充足していたとしても、避難所の住民は簡単には「イラナイとは言えない」ということがあります。たとえ、それが支援者の善意だとしても、必要な支援なのでしょうか?単なる自己満足ではないのでしょうか?

そして、余ったものは最終的には役場に集約され、数か月後にはメディアが「こんなに物資が余っている!」という報道をしてしまうことがあります。さらにすぐに配布できない物資であれば、どこか倉庫を借りたり、処分したりしないといけなくなりますが、その費用は被災地行政の税金で支払われます。

ということは、被災された方々の税金を使うということになり、結果的に善意の支援が被災地の経済を圧迫することにもなりうるのです。このようなことが起きないようにするためにもみんなが意識をもち、必要なものを必要な時期に必要な数だけを調達し配布できるようになればいいと思います。

■支援物資を送るなら、支援NPOに送るか、お金に変えて送る

では、個人が支援物資を送るとき気を付けなければならないことは「それは本当に被災地の人が求めているものですか?自分がもらってうれしいものですか?」ということです。

私も支援者として様々な被災地で活動を行ってきました。以前所属していた団体でも支援物資を集めたことがありますが、中には驚くものもありました。

穴があいていたり、破れている服、使い古しの下着(パンツ)、賞味期限の切れた缶詰やインスタント食品、数十年前のラップ(ラップとして使えない)、洗濯していない布団などです。被災地で送られてきて困ったものを被災者に聞いてみると、上記に加えて極端に辛い食べ物、輸入食品で日本語表示の無いもの、自己啓発本、有名人のサイン色紙、置くところに困る置物、メッセージの書かれた横断幕や千羽鶴などがありました。

メッセージの書かれたものや千羽鶴などは良し悪しがあると思いますが、実際に私が聞いた声としてありました。その理由を聞くと、避難所などはただでさえひとりあたり畳1畳あるかないかのスペースなのに「がんばれ」とたくさん書かれた横断幕や千羽鶴を飾る場所も探すのも一苦労だし、「がんばれ」っていわれても、何もかも無くした状態でこれ以上何をがんばれっていうのか、その言葉みるたびに自己嫌悪に陥るという声も聞きました。

上記のようなこと考えてみると個人や小さな団体で集める単位の支援物資は送らないほうがいいのではないか?ということです。では、どうすればいいのか?

私が推奨しているのは、個人などで物資を送るのであれば、支援物資を集めているNPOなどに送るか、送ろうとおもう物資をお金に換えて支援するという方法が良いと思っています。お金は、被災者の生活費にも、物資にも化けることができる変幻自在の支援物資ともいえるでしょう。お金で支援するときは、「義援金」や「支援金」がありますが、それはどちらを選んでもいいと思います。

自分たちが送る物資で被災地に「第二の災害」を生まないよう考えてみてはいかがでしょうか。