<取材・執筆> 福田 奏美  <取材先> 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授・日本NPOセンター代表理事 萩原 なつ子さん

2019年度はハッシュタグ(#)を通じたジェンダー運動が盛んな年だった。4月11日の#フラワーデモから始まり、#kutoo、#withyellowなど、様々なアクションが巻き起こった。どれも名もなき個人がSNSで呼びかけ、声を上げていくアクションだ。これらの運動は2017年に始まった#MeTooの流れにあるが、日本では諸外国に比べてあまり#MeTooが広がらなかったとも言われる。

筆者は都内の大学に通う22歳の女性だ。同世代の友人たちには、自分も含め声を上げられない人たちがまだたくさんいると感じている。今回、ジェンダー研究に長年携わる立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授の萩原なつ子さんに、「ジェンダー×ハッシュタグ」をテーマにお話を伺った。

◆多くの人を巻き込んだ「受験生を痴漢から守る #withyellow」

萩原さんは「私が学生の頃、フェミニストの意見を知るのはnon-noやan・anといった女性雑誌からでした。原ひろこさんや樋口恵子さんの主張を読み『こういう意見を言ってもいいのだ』と学んでいました」という。

ひと昔前、個人が公に意見を発信する手段は、論文やエッセイなどの媒体しかなかった。しかしSNSが広がったことで、言いたくても言えなかったことを誰であれ世界中の人たちに向けて発信できるようになった。

今年1月、「#withyellow」をつけた投稿がTwitterで続出した。センター試験の日に痴漢が起きやすいということから始まった痴漢対策運動だ。痴漢被害状況を共有できるアプリを発信し、運動に賛同した人たちが呼びかけ、試験当日に駅や電車内での見守り活動も起こり、多くの人を巻き込んだ。

◆私の問題を私たちの問題に 「靴+苦痛 #kutoo」

SNSは即自的に反応をもらえる。共感を呼ぶことで一気に広がっていく。時には「炎上」という形で重要な社会問題として注目されることもある。

「#kutoo」運動は、安全性の低いヒールのあるパンプスを、女性であるために強制されることに違和感を抱くというつぶやきに対し、Twitter上で賛同する声が多く上がったことから始まった。それに対し、「企業に直接訴えればいい」という非難や、「ヒールを履くことはなぜだめなのか」という誤解を含む問い、「男性のスーツ着用の強制も同じように問題がある」と新しい視点を持つ声など、様々な意見が噴出した。

「それはおかしい」と指摘されることで、賛同する人、反論する人、さらに反論する人、まったく違う角度から意見を寄せる人など、様々な反応が沸き起こって問題が成熟していく。SNSの特徴である匿名性も相まって、誰もが臆さずに一個人としての意見を表明できるのだ。最近では、SNSで話題になることで、影響力のある著名な人やマスメディアに取り上げられ、世間でも問題だとみなされていくこともある。

「始めに声を上げる人がいて、それに賛同する人が出てくる。個人(私)の問題がやがて社会(私たち)の問題、社会の構造的な問題となるのです」と萩原さんは語る。

◆匿名でも発言することで変えられる

「この違和感は自分だけなのではないか」と、見えない圧力に黙らされてきた社会構造は変わりつつある。声を上げられる場所はSNSだけではない。企業や大学にはハラスメント行為を匿名で相談できる窓口の存在ができてきた。

都内の大学でも窓口に様々な相談が寄せられている。「なんだかもやもやする」ということであっても、自分の中に留めず外に言うことでデータとして蓄積される。「匿名であってもあまりにも特定人物に対する相談の数が多いと、厳重注意として通告されることもある」という。

◆なぜ我慢してしまうのか

一方で、社会の仕組みはできてきたが、変わっているようで、全く変わっていない部分もある。一つは、相談窓口の仕組みが知られていないことだ。相談してどこまで対応してくれるのか、相談者に不利益は生じないかなど、分からないことによる不安の壁がある。窓口の認知度を高めるためトイレや更衣室といった一人になれる場所に情報を掲示している。

女性の経済的自立が阻害されていることも課題だ。厚生労働省によると、日本の女性の労働賃金は男性の73%(2016)で、国際的に見てもこの格差は依然として大きい。経済的に不利な状況に陥りやすいことは、支配・服従関係が生まれやすいことを意味している。支配・服従関係では片方が絶対的な決定権をもち、もう片方は意見する力を持てないだろう。経済的に自立することで、責任、機会、権利をジェンダー間で平等に分担することができ、発言力も増す。

相手への恐れや社会の空気へのあきらめといった要因もある。セクハラ等を受けて女性が抗議したり、ジェンダーに関して声を上げたりすると、周囲や加害者からバッシングを受けたり、なだめられたりする現実がある。事を荒立てて不利益を被る可能性があるため、女性は我慢を強いられている。そして相手やまわりの空気を推し量った結果、相談する機会を逃してしまうこともあるだろう。

◆どんな運動も一人のつぶやきから始まる

実際に被害を受けた時は、窓口があれば相談する、もしくはSNSにつぶやくことや、周りの仲間に聞いてもらうのがいいだろう。どれだけ時間がたっていても、終わったことではない。

どんな動きも最初はある一人のつぶやきから始まる。そこから共感する人が少しずつ生まれていき、賛同者が広がっていく。

「最初の一人になるのは勇気がいります。でも、守ってくれる人が必ずいます」と萩原さんは言う。

現在様々な運動があるが、声の上げ方にも違いがある。萩原さんは「声を大きく上げて強気に訴えるのか、静かに調和的に訴えるのか。若い人には、どちらもよく観察して学んでほしい。そしてそこでどう思ったのか、なぜそう思ったのかまで分析してほしい。その時、学問が必要になります」と話してくれた。

社会問題の被害者になった場合も、差別の生まれる構造を理解する、差別意識がどのように加害者を作り出すのかを知る、こうしたことで「自分は悪くなかった」と理解できるかもしれない。

運動が起こり、ニュースになり、目に届いたとしても、それを一時的に表出した問題だと思ってはいけない。それは社会がうまく隠し続けてきた声なき声の一握りであり、社会の構造的な問題の一部だと理解していかなければ、本質は見抜けない。

◆「私たち」から「すべての人」の問題へ

筆者はフラワーデモに2回参加した。そこで性被害やジェンダーによるハラスメントに対する想いは、「決して、言ってはいけないことではないのだ」という温かい励ましを感じた。SNS上でも現実の場でも安心して自分の意見を声にできる場所が増えていくことで、「私たち」の問題がさらに「すべての人」の問題になっていくだろう。

萩原さんはジェンダー平等について、「性別に関わらず、個人の可能性を認めることが、ジェンダー平等です。同じことをしても性別で違う評価がなされるような状態をなくしていくことが、平等には欠かせない」と述べた。

SNSで広がる一連のハッシュタグを使った運動は、少しずつではあるが、確かに大きなブランコを揺らし始めている。いずれその反動は社会へと響き渡るだろう。

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