<執筆>飯塚 哲   <シンポジウム> これまでの大規模自然災害から考える現在の被災者支援制度in静岡

私は、地方自治体の職員をしています。去る3月26日に参加したオンラインシンポジウム「これまでの大規模自然災害から考える現在の被災者支援制度in静岡」の模様を、感想を交えながらレポートさせていただきます。

戦前から変わらない避難所

本シンポジウムに参加する前に、主催団体「3.11から未来の災害復興制度を提案する会(略称:311変える会)」のホームページを拝見しました。

今となっては恥ずかしく思いますが、私は自治体職員として、防災や被災者支援についてはそれなりに知識をもっていると思っていました。しかし、そこに掲載されている2枚の写真に、大きな衝撃を受けました。

その写真とは、戦前(1930年)と現代(2016年)における、それぞれの時代の避難所の様子を写したものでした。100年近い時間がその間に存在し、平時の生活様式が劇的に変化したにもかかわらず、2枚の写真には共通して、学校の体育館で雑魚寝を強いられる被災者の姿が掲載されており、その間の変化は読み取れませんでした。(311変える会「私たちが目指すもの」に掲載されています)

一方で、別のページには海外における避難所の写真もありました。衛生的で、プライバシーにも配慮された、まるで流行りのグランピング施設のようなブースの写真でした。

日本における避難所の様子が戦前から進歩していないこと、そしてそれ以上に、「避難所といえば学校の体育館にシートを敷いて共同生活するもの」と無意識に思いこんでいた自分に驚きました。

これはよくない。日本の被災者支援制度には、何か問題がありそうだ。私は衝撃を抱えつつ、シンポジウム当日を迎えました。

自治体職員は被災者支援の多くの業務に「素人」

シンポジウムでは、まず、大阪市立大学准教授の菅野拓さんから、「日本の災害法制は、ハード(河川・建物・道路等)の復旧は得意だが、ソフト(人の暮らしの支援)の対応は苦手である」と問題提起がされました。

その理由として、菅野さんは、(食料、生活用品、住環境の整備といった)平時は民間が市場で供給しているサービスを、災害時は行政が行うことになるため混乱が生じる、と指摘します。さらに、この問題を助長する要因として、「ある地域にたまにしか来ない」(個々の地域単位でみると災害を頻繁に経験するわけではない)という、災害特有の特徴もあげます。つまり、多くの自治体職員は被災という初めての体験の中、慣れない業務を行わなければならない状況に陥るということです。

シンポジウム内では、被災地からの生の声として、「女性用物資が生理用品くらいしかない。またあっても担当者が男性で、配布を受けにくい状況があった」「予め行政が作成していた防災計画は全く役に立たなかったと、被災自治体の職員が感想を話していた」なども紹介されました。

菅野さんは、「言葉は悪いけれども」と前置きしつつ、「『素人』が、やったことがないことをやらなくてはいけなくなる。その最前線が避難所である」と表現していました。

「素人」……。自治体職員の私には手厳しい言葉ですが、否定できないと感じました。その証拠に、「生理用品以外の女性用物資」が、私には想像もできなかったからです(のちに調べたところ、基礎化粧品や下着類、髪留め、鏡などがあるようです)。

参考:川崎市男女共同参画センター「【報告】女性被災者への支援物資提供に関して

自治体職員としての正直な感想 

その後も白熱していくシンポジウムでのやりとりを見ながら、私は、自分が住む、そして職場でもある自治体で、大規模災害が発生した時の光景を想像していました。

状況が許す限り、私は自治体職員として、避難所に駆け付けるでしょう。住民の皆さんを救わなければいけない、という使命感を持ちながら、自分自身も被災者としての不安を抱え、そして、経験したことのない業務をぶっつけ本番に近い状態でするために感じる力不足。

使命感、不安、力不足。この3つの感情に三方を囲まれて、身動きがとれずにブルブル震えている自分の姿が容易に思い浮かびました。きっと、これまでに避難所を運営してきた自治体職員も同じ思いだったでしょう。

私は正直に思いました。このシンポジウムで発言をしている皆さんのような、多くの被災地を渡り歩いて知見を蓄えてきた「プロ」(※)に、傍にいてもらえたらどんなに心強いだろうか、と。そしてそれによって、どれだけ多くの被災者を救うことができるだろうか、とも。

(※)ここで言う「プロ」とは、災害救助・被災者支援の専門性・ノウハウがある企業やNPO、専門家などのことです。

シンポジウムでも、一例として、弁護士の永野海さんが「一番上流にあたるケース会議に弁護士会が入らないといけない」「(熱海は制度活用が比較的うまくいったと思う。その理由は)直接上層部に話をできる環境があった」と述べ、支援活動に各分野の「プロ」が早期に参加し、重要な役割を担っていくことの重要性を指摘していました。

「プロ」の力を生かす

しかしながら、現状は、これら「プロ」は被災者支援制度の中に、明確には位置づけられていないとのことです。シンポジウムでは何度も、「プロ」が主体的に支援活動に携われるような制度に改める必要性が指摘されました。制度に位置づけられることによって、例えば個人情報の取り扱いが可能になり、より個々の被災者に寄り添った支援が実現する可能性があるとのことです。この提案は、311変える会のホームページの「私たちの提案」の中で「災害対応のマルチセクター化」としてまとめられています。

この提案に心から賛同するとともに、気づいたことがあります。

私が今、「プロ」の力を是非借りたいと感じているのは、まさにこのシンポジウムに参加するというステップを経ることで、「プロ」の力と誠意を肌で感じたからです。そのステップを踏まずに、てんてこまいに忙しい現場でいきなり初顔合わせとなったらどうでしょう。力を借りようという発想の前に、不信感の方を先に抱き、排除しようとしてしまうかもしれません。被災者の中にも、同じように感じる人もいるでしょう。ただでさえ緊張の糸が張りつめている被災地においては、見ず知らずの「プロ」よりも、顔見知りの「素人」のほうが、まだ安心できる。そう感じる人がいたとしても、不思議ではない気がしました。

菅野さんも、「顔の見える世界――この人の言うことなら信用できる、わかってくれるという関係が必要であることは、制度が変わったとしても、変わらないものだと思う」と言われ、平時から「プロ」との信頼関係を築いていくことが大事であると思いました。

「生活再建までの工程を描ける人は、すでに課題のほぼ全てが解決している」

シンポジウムでは、例えば罹災証明の区分でその後の支援内容のほとんどが決定してしまうという欠陥を指摘しつつも、今ある制度を使いこなし、被災者一人一人に寄り添おうとする「プロ」たちの支援事例報告がたくさんありました。

その一つ一つを紹介することはできませんが、災害対応NPO MFP代表の松山文紀さんの言葉を取り上げたいと思います。

それは、「生活再建までの工程を描ける人は、すでに課題のほぼ全てが解決している」という言葉です。これは反対に言えば、それができない場合が大部分であるということでしょう。支援制度の全体像を把握し、被災者に適確なアドバイスを送り、必要とあらば他の「プロ」へと繋ぐことができる、そういう役割を担える人材を育む制度も、一刻も早く構築するべきだと思います。

心のがれきを取り除くために

311変える会の代表の阿部知幸さんが紹介した、被災者の言葉に、このようなものがありました。

―――「こんな思いをするなら、あの時死んでいれば良かった」

胸に迫る言葉です。災害の発生は、自然の営みによる部分が大きいでしょう。発生自体を食い止めることには一定の限界があると思います。ですが、心の苦しみは、温かい支援の手がうまく、正しく機能すれば、きっと減らすことができるものだと思います。

最後に、静岡県被災者支援コーディネーターの鈴木まり子さんのお話を紹介します。

被災者の中に、土石流による直接の被害はなかったのですが、止まっていた水道が復旧した勢いで水道管が破裂し、自宅が半壊状態となった方がいました。しかし、直接の被害ではなかったために、制度上は一部損壊に留まり、支援制度として利用できたのは水道代の減免程度でした。天井は抜け、床はかび、トイレはがれきに埋まっているのにもかかわらずです。

鈴木さんは、がれきを片付ける気力も出ないその方に寄り添い、5分でも気力が出てきたら片付ける、疲れたら中断する、ということを繰り返したとのことです。そうやって、少しずつ片付けが進むにつれて、その方も少しずつ元気になっていったと。

被災地の映像には必ず映し出されるがれきの山。目に見えるがれきと同じ量のがれきが、被災者一人一人の心にも、うずたかく積もっているのでしょう。道路にはみ出したがれきだけを一気に片付けておしまい、ではなく、家の中の、そして心の中のがれきも少しずつ取り除いていく。痛みを伴うその営みに寄り添い、適確に手助けする、そんな「プロ」の、そのまた手助けをする制度が欲しい。そして自分は、それを動かす自治体職員でありたい。そう思いました。

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