<取材・執筆>谷中 絵美  <取材先>認定NPO法人DPI日本会議 白井 誠一朗さん・鷺原 由佳さん

障害のある子もない子も、住んでいる地域の同じ教室で一緒に学べるのか?発達障害の子どもがいる私は、就学先を選ぶ際、とてもモヤモヤした。障害の有無は関係ないという環境が理想だけれど、そういう学校は大阪や長野など遠方にあるか私学であり、現実的な選択肢ではない。子どもは現在、公立小学校の特別支援学級(以下支援級)に通っているが、依然としてモヤモヤは晴れない。このモヤモヤは「インクルーシブ教育」が全国に普及すれば解消されるのか?インクルーシブ教育の広がりを阻むものはなにか?

小学校の選択肢のなさに抱くモヤモヤ

「インクルーシブ教育」。障害のある子どもとない子どもが、ともに学ぶことにより共生社会を作ろうという理念。障害児の保護者にとっては理想の形である。私の子どもは自閉症スペクトラム障害の小1。幼稚園時代は補助の先生に助けられながら、運動会や発表会は同じクラスのみんなと一緒に参加させてもらった。子どもにとってちょっと難しいかも?と思う内容も、練習を重ねることでなんとか達成。少しずつでも成長を実感できた。

だから、小学校を選ぶ際はとてもモヤモヤした。インクルーシブ教育を行っている学校は、遠い地域や私立ばかり。仕事の都合上、引っ越しは難しいし、遠くの私立に送り迎えする時間もお金もない。結局、学区の公立小学校の支援級を選んだ。「できないところからスタートするより、できるところから始めたほうが本人の自信につながりますから」。小学校の児童支援コーディネーターの一言が私の背中を押した。

小学校入学後のモヤモヤ

前期は普通級との交流もあったが、後期からは支援級で過ごすことが多くなった。先生は「少人数での学習のほうが、本人が集中できて頭に入りやすいから」と言う。確かにそうなのだろうと思う。

しかし、普通級で教科を学習している時間に、私の子どもは「自立」という授業で箸を使う練習をしている。いまだに箸がうまく使えず、手づかみ食べになりがちだから、本人にとっては必要なことではある。だが、果たしてそれでいいのか?学校とは、勉強をする場ではないのか?受けられなかった授業の分は、親が家で教えなくてはならないのか?モヤモヤはいつまでたっても消えない。

インクルーシブ教育の普及に取り組んでいるDPI日本会議(以下DPI)。この団体は、「障害のある人もない人も同じように暮らせる社会」を目指している。「インクルーシブ教育推進フォーラム」を開催したり、学校に適切に職員を整備しているか調査をするほか、各種提言も行っている。事務局の白井誠一朗さんと鷺原由佳さんにお話を伺った。


インクルーシブ教育のいいところ

「もし、社会に出て初めて障害者と一緒に働く経験をするとしたら、どう接したらいいかわからないでしょう?」

白井さんは言う。もしかすると、腫れ物に触るような扱いになってしまうかもしれない。しかし、子どものころから障害を持つ人たちとの関係性が作れていると、障害者がどういう人なのか理解できるし、接し方もわかる。これが、インクルーシブ教育のいいところだ。このような子どものころからの関わりを通じ、「いろいろな人がいてもいいじゃないか」という多様性や共生が育まれる。

「これは今の教育そのものを変えることだけれど、平均80点でなくても、凸凹があってもいい、本人が好きなこと・いいところを伸ばしていこうという流れにも通じるんです」

白井さんと鷺原さんは熱く語る。インクルーシブ教育が広がることで、バリアフリー化も進むだろう。たとえば、建物を新しく建設するとき、障害者のことを理解していれば、最初からスロープを作ったり段差をなくすという発想が生まれる。後から高いコストをかけてエレベーターを作ったりすることはなくなるだろう。学校は災害時の避難所にも指定される場所なので、なおさらバリアフリー化が必要だ。

インクルーシブ教育の普及を阻んでいるもの

現在、子どもの数が減っているとは言え、現場の先生方はとても忙しい。
「インクルーシブ教育が素晴らしい理念だと感じていても『そうは言っても…』という事情がありますよね。このあたりは、現場の教職員の方々と『腹を割った本音の意見交換』をしたいんです」

鷺原さんは語る。障害のない子どもの保護者からの偏見もある。「障害のある子どももない子どもも、住んでいる地域の同じ教室で学ぶ」。そう聞いて、「子どものうちから多様性がはぐくまれてすばらしい!」と思う人もいるが、「障害のある子どもにばかり注意がいって、障害のない子どもの学習が遅れる。クラス対抗の行事の足を引っ張るかもしれないし、医療ケアが必要な子どもなら、子ども同士の遊びでもし何か事故があったら困る。それに、そういう子どもに暴力を振るわれるかもしれないし……」そう心配する保護者や教職員も多いだろう。

一足飛びに「あるべき姿」に近づくのは難しい。段階を経て、丁寧に一歩一歩頂上を目指すことが必要だと考えている。

「分けられる」ことに対する違和感

白井さんにも鷺原さんにも、インクルーシブ教育を推進したいという個人的な思いがあった。

白井さんは中学3年のときに難病が進行。多少は歩けるが、移動は車椅子を使っている。呼吸する力が弱くなってしまったため、人工呼吸器が必要だ。中高一貫校だったためそのまま高校に進学できたが、そうでなければ特別支援学校だっただろうと振り返る。白井さんは「分けられることに対する違和感」を感じたという。

「自分という人間は障害者になる以前となにも変わらないのに、障害者になったとたん、ついたてが立ったような形で分けられてしまうなんて」

大学は自宅から通えることが条件だったので、4年間キャンパスが変わらない社会人向けのコースを選んだ。そこに来ていたのは、高校から進学した同い年の学生のほか、休職中あるいは働きながら通う社会人、リタイア組など、年齢も背景もばらばらなメンバー。社会福祉士の資格取得や学びなおしのために来ていた。実際にヘルパーとして働いている学生は、
「教授はああ言っているけど、現場ではちょっと違うんだよねえ」と実情を教えてくれることも。

「ただ講義を受けて知識を得るだけでない学び。人間としての幅がぐんと広がりました」

障害のあるなしも、年齢もキャリアも関係なく共に学んだときの面白さが、白井さんの原点だ。

鷺原さんは、過去に二つの大きな出来事があった。「みんなと一緒じゃつまらない」。そう考える鷺原さんは、同調圧力の強い中学校で、ひどいいじめを経験した。不登校や保健室登校になり、「変なやつ」という目で見られようになった。カウンセリングを受けたり、精神科に連れて行かれそうになったこともあった。「私は私」なのに、それを認めてくれなかった。

大学3年のとき「統合失調症」を発症した。入院を勧められたが、社会福祉学部だったため実習に行けなくなる不安があった。だが、大学に相談すると資格の合格率が下がることを懸念し、休学・留年・退学のどれかを今すぐ選ぶよう圧力をかけられてしまった。「自分は勉強したくて大学に入ったのに、どうしてこんな目に合うのか」。障害者を不良品のように扱う大学に不信感を抱いた。 中学、大学の出来事で自分が自分でいられない悲しさや虚しさ、違和感を抱いていた。でも、インクルーシブ教育の理念と出会い、これだと思った。「お好み焼きやビビンバのように、ごちゃまぜがいい味を出すんですよね」
鷺原さんはそう語った。


どこで学べば幸せなのか

私は、障害のある子どもにとって必要なのは、「適切な支援を受けながら、自分らしくいられる場所を選べる」ことだと感じている。普通級に通いたいのに通えないのは問題だが、自分のペースで取り組みたい子どもや、人と一緒にいることが苦手な子どもにとっては、支援級や特別支援学校のほうが居心地がいい場合もある。

障害のない子どもにとっては、「いろいろな人がいるのは当たり前。それを受け止めて楽しく過ごせる」ことが大切だと思う。その子にばかり時間をとられていやだと感じる子どももいるだろう。相互理解が足りないことによるトラブルが起きないよう、すべてを子ども任せにすることなく、サポートは必要だ。

教職員は、障害のない子どもたちを教えたりケアすることで手一杯だし、障害のある子どもへの適切な支援の仕方がわからない方もいる。それに、もし万が一のことがあったら責任がとれないので、専門家に任せようと思うだろう。その状況は理解できる。

しかし、もし授業中じっと席に座っていられなくても危なくない環境があり、支援が必要なときはすぐにフォローしてくれる人が必ずいる。そんな、環境整備や人員配置ができたら(実際に、私の子どものように、歩きながら耳だけは先生の話を聞いている子どももいる)。 先生と大多数の子どもたちは授業に集中していられるし、発達障害の子どもは今以上にクラスの一員として受け入れられ、みんなで障害や多様性について学ぶことができる。そんな場が作られ、広がっていってほしいと願う。