<取材・執筆>やまべ なつえ  <取材先>認定特定非営利活動法人ゆめ風基金 理事・事務局長 八幡 隆司さん

今年も台風や大雨による被災地の報道が続いています。ひとたび災害が発生すると自宅が住めない状態になってしまい、避難所生活を余儀なくされるという被災者は少なくありません。

災害が起きるたび、全盲の視覚障害者でもある筆者は、避難することについて不安や恐怖を感じずにはいられません。災害時の障害者や支援活動は、どんな状況なのでしょうか。

そこで、阪神・淡路大震災以降、被災地における障害者支援に取り組んでいる認定特定非営利活動法人ゆめ風基金の理事・事務局長 八幡(やはた)隆司さんに、今までどのようにして必要とされる支援を届けてきたのか、さらにゆめ風基金の想いをお聞きしました。

障害者が避難所に避難することの難しさ

――ゆめ風基金の主な活動について教えてください。

ゆめ風基金は「基金」の名のとおり、1995年の阪神・淡路大震災以降、被災地で障害者支援をする方々に金銭面で支援をしています。また現地のほうで障害者支援がうまくいかないことがあれば、アドバイスもおこないますが、あくまでも後方支援です。重視しているのは、できるだけ現地の障害当事者が、障害者支援の中心になるということです。

――東日本大震災のとき「避難所に障害者がいない」という報道を目にしたのですが、実際はどんな様子だったのでしょうか。

まず避難所の環境ですが、雑魚寝をしているような状態で人がいっぱいいますよね。視覚障害の方だと当然避難所に行くのも遅れてしまうので、そうするとど真ん中しか場所が残っていないわけです。つまり、トイレに行くにも人の頭を踏みそうな状態だったりします。また車いすで移動できるわけもないので、そういうことに障害のある方やご家族が避難所に行って気づいて、結局あきらめて避難所を去る、ということが東日本大震災では続いていました。

避難者でいっぱいの避難所(宮城県仙台市の避難所 2011年3月11日)

実はゆめ風基金は、2007年の新潟県中越沖地震から防災に力を入れるようになりました。そのときも避難所に障害者がいなかった。安心して過ごせる避難所であるためには、平時からもっと防災の観点で力を入れないと、実際に災害が起きてしまうと障害者は避難所に行けないということがよくわかりました。だから、東日本大震災のときも、集まったボランティアの人たちに「まず障害者を探し出すことから始めるから、1週間障害者に会えるかどうかわからないですよ」と言って回った覚えがあります。それぐらい東日本大震災では、避難所に障害者がいませんでした。

どのように障害者を探して支援に繋げてきたのか

――ボランティアは集まった。しかしなかなか障害者は見つからない。実際、どうやって探されたのですか。

その避難所に障害者がいないことがわかっていても、避難所は回らなくてはいけないんです。なぜならば、4回か5回ぐらい回っていると、「グラウンドに避難している障害者がいるよ」と教えてくれたり、「ここに障害者はいませんよ」と受付で言われたまさにその後ろにダウン症の子どもがいたりするんですね。つまり、行く当てがなくて避難所に避難する障害者も、やはりいるわけです。

また、支援学校とかほかの障害者団体でも安否確認はするけれども、どこに避難しているかまでは聞いていないということでしたので、そういうことを聞き出して回ったりして、少しずつ情報が集まってきたという感じでした。知的障害の方は親御さんと過ごすことが多く、支援の必要度としては身体障害のほうが高いです。そして、普段福祉サービスに繋がっていない精神障害の方のニーズが、災害時には明確になってくることもよくあります。

――そんななか、支援はどうやって届けられるのでしょう。

たとえば視覚障害者の団体では、行政から名簿をもらって、その名簿に基づいて支援をしていました。それでも具体的な物品支援などは難しいということで、そこからゆめ風に伝えてもらって支援をするという連携をしました。

必要な人に支援を届けるために必要なこと

――重要なことは連携ですね。連携の拠点も必要でしょうか。

東日本大震災では、ゆめ風基金が現地の障害者団体に呼びかけ、宮城・岩手・福島3県にそれぞれ障害者センターを設置しました。災害が大きくなればなるほど拠点があったほうが支援はしやすくなりますし、ボランティアも集まりやすくなります。できるだけそこに情報を集めて、そこから各都道府県の障害者団体や支援団体と連携を作っていって、その連携がうまくいけばいくほど支援は広がります。ですので、できるだけ多くの障害者団体にかかわっていただきながら運営するということを基本にしています。そしてゆめ風基金も、そういった連携の中で支援をしています。

左から被災地障がい者センターみやぎ、被災地障がい者センターいわて、被災地障がい者センターふくしま(2011年4月)

――東日本大震災の教訓により2013年に作成が義務化された「避難行動要支援者名簿」は、その後役立てられているのでしょうか。

避難行動要支援者名簿の作成が義務化された後に起きたのが、2016年の熊本地震でした。ところが発災後1か月以上経ってから、ようやく熊本市が名簿に基づいた安否確認を始めたというような状態でした。しかもその名簿には固定電話の番号しか載っていないので、全壊とか半壊で住めなくなった家を訪問して「留守」と書いてあるんですね。それでは何の意味もない。

一方、2018年の大阪府北部地震では、豊中市がすべての避難行動要支援者名簿を災害が起きた当日に町内会に開示して安否確認をおこなうという取り組みをしましたが、高齢化を理由に名簿の受け取りを拒否した町内会があったそうです。

そもそも行政では、名簿の登載率を上げることに目が向きやすく、いつ・どのように利用するのかといった基準が後回しになりがちです。「まず名簿ありき」というやり方では、なかなか機能しないでしょう。

――最後に、ゆめ風基金が願っていることと、これからの活動について教えてください。

私たちは、障害者の支援は同じ障害当事者が中心になって進めていくべきだと考えています。アメリカでは、災害緊急時の障害者危機管理対応を統括する局長は障害当事者です。被災障害者のことは同じ障害者がいちばんわかる。だからこそ、日本でも障害当事者に防災対策を担ってほしいですし、そうしていかないと、障害者は置き去りにされたままになってしまうと思うのです。

また、私たちは、障害者でも安心していられるインクルーシブな避難所の実現を目指し、積極的に講演活動もおこなっています。さらに、今後は障害者だけでなく、外国人や子ども連れといった方々の団体とも、連携をしてかかわっていきたいと考えています。

インタビューを終えて

冒頭にも記しましたが、筆者は全盲の視覚障害者です。

白杖を持って外出すると、周囲の皆さんは本当にとても親切です。しかしながら一緒に働くとなると、途端に二の足を踏まれてしまうことが多いのです。そういったことが、日本では政策に障害者の声が届かない大きな理由なのだと思います。

取材を通じ、障害者の社会参画の必要性を痛感した一方、筆者自身の生き方も問われているのだと思いました。

最後に、今回インタビューに応じてくださった八幡さん、そして日々私たち障害者を支援すべく奮闘してくださっている皆さまに感謝を込めて、もっとも心に残った八幡さんの言葉を記して筆を置くこととします。読者の皆さんも、それぞれのお立場で受けとめていただければ幸いです。

「防災に強くなるためには、ふだんから『社会がインクルーシブで誰もが生活しやすくなっている』ことが必要なのです」

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