<取材・執筆>森山 優希  <取材先>特定非営利活動法人ANT-Hiroshima 理事長 渡部 朋子さん

ant-hiroshima渡部朋子さん

1945年8月6日 午前8時15分。広島に原爆が投下された日時だ。広島出身者が 県外で暮らすと、この日時が通じないことにショックを受けることがある。 私もその一人だった。周りにいる圧倒的多数の人が、その日、その時間を知らない。あるいは関心がない。広島では考えられないことだ。地元の広島を離れてからは「8月6日が伝わらない」と年々強く感じるようになってき た。

今年は戦後75年。核兵器禁止条約の発効も決まった記念すべき年だ。しかし 多くの人は、どこか遠くの出来事のように感じているのではないだろうか。 そのような中、広島には何十年も平和活動に取り組んでいる人たちがいる。私が広島を出てから抱えてきた違和感をぶつけてみたく、特定非営利活動法人ANT-Hiroshima(以下ANT)理事長の渡部朋子さんに話を聞いた。

ANTは広島を拠点に、国際協力や平和教育、平和づくりに関わる活動を行うNGO。毎月のように広島の学校で平和教育活動を行っている。被爆地”ヒロシマ”の記憶・経験を活かして世界の国々と連携し、めざすのは「大きな平和」の実現だ。

私たちが知らない「被爆者」のこと

ANT-Hiroshimaが制作している冊子『ヒロシマ、顔』
ANT-Hiroshimaが制作している冊子『ヒロシマ、顔』。被爆者の方、一人一人の経験を記録し、広める活動もしています。

皆さんは「被爆者」について、どれだけのことを知っているだろうか。

平和教育の始まりは被爆した先生たちからだった。だが、今では教える側が被爆の実相を知らないことも多い。そのためANTの平和教育では学校教育でカバーしきれていない被爆の実相の話をする。例えば、被爆者の4つの区分のこと。被爆者というと直接被爆した人のイメージが強いが、以下のように分けられているのだ。

1.「直接被爆者」
2.投下後2週間以内に爆心地から約2km以内に入った「入市者」
3.救護、死体処理にあたった人たち
4.体内被爆をした胎児
・原爆投下直後に降った「黒い雨」に打たれた人も被爆者と同様の後障害に苦しんでいる。

渡部さんは被爆者の方々と接することも多い。「長年閉ざしていた重い口を開き、被爆体験を語り始めた被爆者の方々は、自分たちと同じような苦しみを、もう誰にも経験させたくない、その一心なのです」と強調する。ANTでは被爆者と若者にタッグを組んで仕事をしてもらうこともあるという。

「一緒に仕事をすると“人”として被爆者と接します。被爆者ではなく『何々さん』。被爆体験の継承も、本来、そうした人と人との関わりの中で育まれるものだと思うのです」

ANT-Hiroshimaの平和教育の特色

ANTの平和教育活動ではインターンの大学生が話し手になっていることも特色の一つ。年齢が近い大学生の「お兄さん」「お姉さん」が話をすることで、聞き手の児童や生徒たちに自分の身近な話として共感してもらうことが狙いだ。

教材として使うものも、相手の年齢や背景(都道府県や国籍など)に応じてその都度考え、選んでいる。例えば、被爆樹木についての紙芝居『小さいアリと大きな木』、絵本『おりづるの旅』、被爆者の方の被爆証言動画シリーズ、被爆者の方が描いた絵、原爆で亡くなった子どもたちの詩など。

ant-hiroshima渡部朋子さん

「子どもたちに想像してもらうことが大切。一人ひとりに伝わるよう工夫をしています」。渡部さんの平和教育に対する熱意が、この言葉から強く伝わってきた。

平和教育の授業を受けると子どもたちの目と耳が変わってくる。テレビで戦争や原爆のことが出てくると関心を示すようになる。そして渡部さんは「自分でも調べてみてね」と伝えるそうだ。「人生を重ねていく中で、自分の言葉で“ヒロシマ”のことを伝えてもらえるようになってほしい」と願う。

日本とドイツの平和教育を比較して

原爆が投下された広島や長崎の被害状況は1945年8月15日の終戦の日まで日本軍によってふせられ、終戦後も10年間、日本を占領したアメリカが情報の開示制限を課していた。この期間のことを、広島では「失われた10年」と呼ぶ。大きな被害が長年にわたって隠されたことで、日本を含め世界中の人たちが「きのこ雲の下で何があったかを知らない」。

ノーベル平和賞を2017年に受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の活動によって、ようやく世界の人が核兵器の脅威を知ることになってきた。だが、日本はいまだに戦争や被爆の実相について学校でくわしく教えていないという現状がある。

ANTのドイツ人大学生インターンが語ったことによると、ドイツではユダヤ人の虐殺やアウシュビッツについて学校で学ぶだけでなく、現地を訪れ戦争の歴史を学ぶことも重視しているという。日本では戦争や被爆のことを学校でくわしく教えていないことにびっくりしたそうだ。また、平和教育を実施する団体への公的な支援もドイツでは充実しているが日本ではほとんどない。両国の平和教育への取り組みには温度差があると言わざるを得ないだろう。

核兵器禁止条約に対する考え方

2021年1月22日、いよいよ核兵器禁止条約が発効される。「被爆者や平和活動に取り組んできた人たちにとっての悲願だったため涙を流さんばかりに喜んでいます」と渡部さん。一方日本での知名度は低い。実は広島市民の中でもあまり知られていないという。

核兵器禁止条約は、核兵器の使用が武力紛争の際に適用される国際法に反するとして、その開発・保有・使用などを禁じる。2017年7月、国連で122の国と地域が賛成し、採択された。50の国と地域が批准するという条約の要件を満たしたことから、発効が確定した。

しかし、条約には世界の核兵器の9割を保有するアメリカとロシア、さらに中国などの核保有国に加え、アメリカの核抑止力に依存する日本などの同盟国は参加していない。唯一の戦争被爆国である日本も条約に参加しない。渡部さんは「条約に批准した上で、核軍縮に向かって核保有国に働きかけることこそ、日本の役目」と訴える。

私たちができることとして渡部さんは「日本は今後どんな国でありたいのかを考え続け、日本政府に働きかける」ことを挙げる。最近は大学生など若者を中心に積極的なアクションも生まれている。核兵器禁止条約に日本が入ることをめざして議員に「核政策についての考え」をたずねて公表する「Go To ヒジュン!キャンペーン」や「カクワカ広島」といった取り組みも始まった。地道であっても、核廃絶に向けて私たち一人ひとりが考え、行動していくことが大事である。

取材後記

今回の取材を通じて、広島市出身の筆者でさえも、原爆や広島・長崎などについて十分な知識を持ち合わせていないことを痛感した。日本が平和教育を十分に実施できていないという問題もあるが、やはり一番は私たちがこれらについて関心を持ち、問題を解決するために議論や行動を重ねていくことが大事だと思った。今後は筆者も含め、皆さんが今の自分に何ができるのかを考え、行動していけるように意識してほしいと強く思う。