選挙権年齢が18歳に引き下がり、18歳成人も2022年から始まります。7割以上の国が18歳成人の中で、なぜ、日本はこれほどまでに「20歳成人」「20歳選挙権」に固執してきたのでしょうか。

とはいえ、<18歳選挙権・18歳成人>時代においては、まさに、18歳を迎えるまでに「民主主義教育・市民教育」が十分に行われ、市民意識を抱ける環境を整えることが必要なのは言うまでもありません。

小学生の公開討論会

そうした中、「政治教育・民主主義教育」が充実していると言われるドイツを、連邦議会選挙中の昨年9月に視察しました。驚いたのが、実際の候補者を招いての公開討論会を小学生が企画・運営していたことです。この公開討論会は、会場となる子ども美術館周辺の3校合同で開催され、5年生~8年生の約150人が参加していました。先生は引率するのみで、司会も質問もすべて小学生。小学生とはいえ、教育政策、移民問題など、実際に課題となっていることが取り上げられ、参加した7名の候補者は誠実に答えていました。小学生は、候補者の回答に共感する時は拍手や足踏みで表し、反対の時はブーイングをするなど、その熱気が今でも忘れられません。

翌日、ベルリン市の保育園を訪問しました。高層マンション1階の保育園は、目の前の芝生広場、遊具、池などがある広大な公園を園庭代わりにしています。公園ができて10数年が経過し荒れ始めたこともあり、ベルリン市は公園を改修するために普段から公園を利用している保育園児にヒアリングを行っていました。

保育園児にヒアリング

6人の4歳男女児一人ひとりに、握りこぶし大の緑の球・赤い球がついた長い棒を持ってもらい、公園を散策し、行く先々で「緑の棒(心地よいと感じる場所)」か「赤の棒(変えたほうが良い場所)」を園児が地面に差します。「砂場の砂がサラサラしていて気持ちいい(緑)」「階段のわきに滑り台があるといいなぁ(赤)」「昔は水遊びができたみたいだけど犬が入るから遊べなくなった(赤)」など思い思いを4歳の子が話し、ベルリン市の職員が聴き取っていました。「『子どもは〇〇したいに違いない』と決めつけて半人前扱いするのではなく、年齢に応じて当事者が思いを伝えることができるよう工夫している」と職員は語っていました。

公開討論会において、ドイツの小学生が候補者を前に自分の言葉で質問ができているのは、就学前から一人の人間として尊重され、ベルリン市民としての意識を高めていく機会が常にあるからなのでしょう。

日本でも、学区域をグループで歩き、「安全な場所・危険な場所」などを記録・撮影し模造紙にまとめる「防犯マップ・防災マップ」を作る取り組みが盛んです。クラスや学年集会で「ここは街灯が無くて暗いから気をつけよう!」など発表しています。子どもが気をつけるのは大事なことですが、この発表の場にPTAや町内会の役員、行政職員、地元議員などが参加していたらどうでしょうか。おとなでは気づきにくいことを子どもが感じていることが分かりますし、ガードレールや防犯等などが予算化されるかもしれません。

何より当事者である子どもが、自分の思いを伝えることの大切さを実感し、おとなが耳を傾け子どもと対話することにより、子どもは自分も地域の一員だということを実感できます。主権者意識を育み、民主主主義を醸成するというのは、まさにこうした地道な積み重ねが大事です。

そもそも子どもを含め私たちは、どれだけ本音で自分が考えていたり思っていることを話しあえているのでしょうか。

“正しいこと”“正解”を話すことへの圧力を感じ、“真面目”なことを話しても相手にされなかったり、茶化されたり。あるいは「まずは人の話を聞きなさい!」と言われ、空気を読むことに気を配り、回りの反応を忖度し、思ったことを口にすることすら思いとどまってしまう場面が多いように感じます。

知識があっても話すことそのものを恐れ、感情や想いを口にすることを躊躇し、相手の反応を忖度し、自分の想いを話す経験がなければ、説得力も何も持たなくなってしまいます。たとえ間違っていても、知識が足りていなくても、安心して話しあえる環境があるかどうか。市民意識を実感したり、自分の想いを伝える機会を私たちおとなは、子どもから奪っていないだろうか。

来年2019年は、国連が子どもの権利条約を満場一致で採択してから30年、日本政府が条約を批准してから25年という節目の年です。

グローバル化が言われているなか、まずは身近なところで、子どもを一人の人間、一人の主権者として受けとめ向き合っていくことが、何よりも求められています。